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板垣市長の再選

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 昭和五十年(一九七五)に実施された札幌市の統一地方選挙は、札幌市が政令指定都市になったため、道知事選・道議選と札幌市長選・札幌市議選が同一日に実施されることになり、また市議、道議が区ごとに選出されるようになった。
 再選を目指した自民・民社推薦の現職板垣武四市長の対抗馬は、社会・共産推薦の川村琢(北海道大学農学部名誉教授、北海学園大学教授)であった。板垣は「一期四年の公約はほとんど果たした」と実績を強調し、後援会を中心に選挙戦を展開した(道新 昭50・4・9)。社共両党は前年秋に共闘について基本合意したが、統一候補の選定に手間取り、三月七日にようやく川村琢が立候補を表明した(道新 昭50・4・9、4・14)。
 四月十三日の選挙の結果は、板垣四一万四八八四票、川村二一万七〇二四票で、板垣が二〇万票を引き離して勝利した。板垣陣営では前回と異なり、確認団体「明日をひらく札幌市民連合」を作って全市にくまなく後援会を組織した。後援会は十数人の趣味サークルから従業員数千人の企業にまで作られ、青年層向けの定期的な対話集会や「札幌輪の会」という婦人層組織が生み出され、また大量のチラシが市民各層に撒かれた。公明党は今回自主投票としたが、創価学会が板垣支持を呼びかけたため市内八万の公明票が板垣に流れたとされた(道新 昭50・4・15、札幌市長板垣武四市政四五年の軌跡)。