四次にわたるみなおし運動は「経費を中心とした部分的な改善に終始した」(第四次みなおし運動結果報告書)。マンネリ化も生じ、いったんみなおし運動はストップしたが、昭和五十六年に第五次が実施された。第五次はその趣旨を単に事務効率を改善するということではなく、「行政を社会・経済の進展、市民生活の動向等による行政需要の変化に即して機能的に対応させる」ために「不断に施策(事務・事業)の新陳代謝を図ることが必要」とうたい、地方自治体を「行政組織」から「サービス(提供)組織」に見直していかなければならないとした。この発想の念頭には、五十五年三月に発足した国の第二次臨時行政調査会と行政改革の動向が置かれていた(第五次みなおし運動結果報告書)。
国は第二臨調の第一次・第二次答申(昭56、57)にもとづき、老人医療有料化(昭57)、年金低位平準化(昭58)、児童手当支給期限短縮(昭58)など、福祉、社会保障、教育等の施策の見直しと国庫補助負担金削減による厳しい歳出削減政策を取り、地方に対しても事務事業の見直し、行政機構の簡素合理化、定員管理の適正化などの行政改革を求めてきた(自治省事務次官通達「地方公共団体における行政改革の推進について」 昭56・1・5)。市議会は、五十六年十月五日、「行政改革に関する意見書」を全会一致で採択し、第二臨調第一次答申を「遺憾」として国の財政措置を強く要望した。市議会は他に福祉、社会保障、地方財源強化、減税などの意見書をこの時期に多数採択している。
政府は五十八年五月に「行政改革大綱」を定めて国と地方の関係・機能分担の見直し、地方行政の減量化・効率化を求め、次いで臨時行政改革推進会議「当面の行政改革推進方策」(昭59・7)に基づいた「地方行革大綱」を六十年一月二十二日に発表し、実施細目を事務次官通達で各地方自治体に送付した。「地方行革大綱」は各自治体に対して、民間有識者からなる委員会および実施組織の行政改革推進本部の設置と、①事務事業の見直し、②組織・機構の簡素合理化、③給与の適正化、④定員管理の適正化、⑤民間委託・OA化、⑥会館等公共施設の合理化、⑦地方議会の合理化、の七つの重点項目の検討を求めた。板垣市長は、六十年三月五日の市議会第一回定例会で、一方的に国の歳出削減が先行されたことは非常に残念だが、「新しい行政需要に的確に応え得るよう、国・地方通じて行財政のあり方を抜本的に見直し、簡素にして効率的な行政の確立をすること」は「大切な課題」であり、「国と車の両輪の関係にある地方の行革を一層徹底させることは、時代の要請である」と述べ、国の行革に歩調を合わせて積極的に行政改革を推進することを表明した。
六十年四月八日、局長職以上で構成する「札幌市行政改革推進本部」(本部長は市長)を設置し、同時に「札幌市行政改革懇談会設置要綱」と「行政改革推進の基本方針」を決定した。大学教授、企業経営者、新聞社・放送局部長・次長、札幌地区労・札幌地区同盟代表、自治会・青少年育成委員会関係者等一五名からなる「札幌市行政改革懇談会」は、五月十六日の第一回から八月二十六日の第五回まで総会を開催した(札幌市の行政改革に関する第一次提言)。自治省への各自治体の行革大綱提出期限は八月末とされていたが、六月の市議会で川口谷正議員(社会党)から自治省通達に唯々諾々と応ずるべきでないと批判が出され(十六期小史)、また同懇談会の作業も遅れたために、『札幌市の行政改革に関する第一次提言』が市長に提出されたのは九月十三日であった。十一月十一日に札幌市行政改革推進本部において「札幌市行政改革大綱(案)」が策定され、同日の市議会総務委員会の審査を経た上で、同月二十日、ようやく自治省に「札幌市行政改革大綱」が提出された(以上、十六期小史)。
「札幌市行政改革大綱」は、行政改革の視点として、①事務事業の見直し(行政の責任領域の再点検、地方単独施策と地方単独補助金の見直し、広域的共同処理の推進)、②組織・機構の簡素合理化、③給与の適正化、④定員管理の適正化、⑤民間委託・OA化等事務改革の推進、⑥会館等公共施設の設置及び管理運営の合理化、の六点を示した。これは国の「地方行革大綱」の七点から地方議会の合理化を除いて同じ構成である。札幌市では、すでに議員定数の削減がなされており、また議会の自主性を尊重してこの点は削除された(札幌市行政改革大綱)。
第五次みなおし運動は、従来と異なる発想をもっていたものの、実際の取り組み内容は従来と同じような経費節減を中心とするものにとどまる傾向があった。国の行革政策を受け、行政の責任領域の再検討を掲げた「札幌市行政改革大綱」に至って、札幌市行政は新たな行政改革の時代に入ったといえる。