札幌市内には、道内の地方空港との連絡を受け持つ丘珠空港がある。しかし市街地が拡大し、その周辺まで急速に宅地化が進行した。そのため広大な敷地を占める丘珠空港が、地域のまちづくりに大きな影響を与え、さらに周辺住民への騒音などの環境問題を引き起こしていた。そして昭和四十年代以降飛行場の移転を求める住民組織も生まれ移転促進運動が行われてきた(十八期小史)。札幌市として当面空港能力の拡充を行わない方針を持っていた(概要 昭48~62)。
六十三年(一九八八)の第三次長期総合計画では、丘珠空港を、札幌市と道内遠隔地を結ぶ地域空港として、また報道取材、防災監視などの小型機の拠点空港としての役割を担っていると評価した。そして居住環境への影響を十分配慮して空港周辺における環境保全対策をとることを前提に、新千歳空港との機能分担を考慮しつつ丘珠空港の将来的な在り方を検討することにした(三長総)。
平成三年(一九九一)には、老朽化した空港ターミナルビルの改築に関わり札幌市の第三セクターである札幌丘珠空港ビルが、管理を行うことになったことや、丘珠空港に旅客定期便を就航させているエアーニッポンが、プロペラ機にかわりジェット化を検討しはじめたことなどから、丘珠空港の将来像について、議論がなされるようになった。ジェット化が進められると、当時の滑走路(一四〇〇メートル)を延長しなければならないこと、そして滑走路を延長すると丘珠地区周辺の高度土地利用が制限を受け、まちづくりに影響が大きいことが問題となった(十八期小史)。
丘珠空港のジェット化の問題は、丘珠空港周辺の住民や労働団体などから反対の陳情や申し入れなどがなされた。しかし丘珠空港は、エアーニッポンの定期航路によって道内五空港(稚内、紋別、釧路、中標津、函館)と結びついていた。この時、ジェット機を就航できないのは、丘珠と紋別だけであり、紋別はすでに空港のジェット化に向けての整備を国の第六次空港整備五箇年計画に組み込まれることが予測されていた。ジェット機を就航できないということは、その五空港から丘珠空港への乗り入れができなくなることを意味した。そのため、四年五月には道内各商工会議所などにより札幌丘珠空港整備促進協議会が結成され、滑走路延長などの整備促進に配慮を求める要望など要請や陳情が札幌市に出された(十八期小史)。
その後、札幌市や北海道による騒音調査などをへて、七年には、一時北海道・札幌市ともジェット化推進を表明し、運輸省などへジェット化の陳情を行った。八年二、三月には、幅広い市民の議論の場として丘珠空港フォーラムが開催された。しかし第七次空港整備計画への組み込みはむずかしいという状況となり、北海道と札幌市では、七月二十六日丘珠空港のジェット化計画の断念を発表した。その後、プロペラ機導入について、冬期間の安定航行確保のために、丘珠空港を整備するよう国へ要望した。八年十二月十三日閣議で決定された第七次空港整備計画に、新千歳空港の滑走路延長、稚内空港の整備とともに丘珠空港の整備に関し、空港の高質化のための調査検討と必要があれば整備を図ることが盛り込まれた(十九期小史、広報 平9・8、札幌市 丘珠空港フォーラム会議録丘珠空港と北海道総合交通体系 平8・3)。
九年十一月十七日、空港と調和したまちづくりを進めるための議論の場として丘珠空港周辺のまちづくり懇談会が設置され、十年三月二十六日札幌市に提言書を提出した。十一月には提言を生かした今後の具体案を策定するため、丘珠空港周辺のまちづくり連絡協議会を設立、十一年三月に丘珠空港周辺のまちづくり構想が策定された(十九期小史)。
一方、十年六月には北海道と札幌市で空港整備の基本合意が行われ、滑走路の南東方向延長一〇〇メートル、生活環境を悪化させないなどの基本方針で、丘珠空港の整備に着手した。十五年度中の整備完了を目指した(十九期小史、概要 平11、13)。