昭和四十九年三月に市は札幌市工業基本計画を策定した。この計画は、市内工場の市外移転を提唱したものである。計画には、以下のような現状認識が示されている。四十八年における用途地域別工場数を調べると、工業専用地域、工業地域、調整区域(以上が工場適地)に立地している工場は全体の一二・一パーセントにすぎないという。住居地域に二二・三パーセント、近隣商業地域、商業地域に三二・七パーセント、第一種住宅専用地域、第二種住宅専用地域にさえ一〇・五パーセントが立地していたのである。公害に関する苦情を受けたことのある工場は全体の一一・三パーセントだが、それらの大部分は騒音に対する苦情であった。重化学工業比率が低い札幌の工業ではあるが、騒音公害は免れなかったのである。そこで、基本計画として、生産活動に適さない場所にある工場、自動車整備業のうち板金塗装部門をもっている工場、クリーニングのうち協業化・集団化を希望している工場、合わせて二二九四工場が再配置の対象となると結論づけている。そして基本計画は昭和五十五年を目標に公害問題で困っている工場、人口が密集し、住宅・商店との混在がひどい工場、合わせて八一〇を当面の再配置予定とした。八一〇工場の移転先として想定されているのは札幌市内一二二ヘクタール、札幌市外二一九ヘクタール、合わせて三四一ヘクタールであり、都市需要との関係から出版・印刷、クリーニングなどは市内移転、原材料を海上輸送に依存する木材・木製品、輸送用機器、コンクリート、ガラス系の窯業、精麦、製麺、飼料、水産加工品などは石狩湾新港への移転が推奨された。札幌市工業の将来像は、「都市需要対応力の強い高生産性工業」であるとされ、それは食料品、出版・印刷などであるという(札幌市経済局商工観光部 あすの工業をめざして 札幌市工業基本計画 昭49)。