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製パン業

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 地元企業の代表として日糧製パンを取り上げることにする。日糧製パンは、昭和十八年設立の北海道報国製菓有限会社に端を発し、二十一年日本糧産化学工業(有)、二十三年株式会社化、三十四年に現社名となった(日糧製パン 有価証券報告書 第53期、昭63)。札幌市内では月寒工場が主力工場である。表19に販売動向をまとめた。販売額は、五十二年からピークの平成七年にかけて二・一倍となり、バブル崩壊後も販売額が増え続けていることが特徴である。内訳では製品と商品に分けられているが、製品とは日糧製パン工場で製造したものであり、商品とは他工場から仕入れて販売したものである。商品比率は、昭和五十二年に二五・一パーセントであったが、バブル崩壊期には四〇パーセントを超えている。自社工場製の製品販売額のピークは平成三年で、以後減少しているのだが、これを補ったのが仕入商品だったのである。
表-19 日糧製パンの販売高(単位:百万円、%)
昭5253616263平12345678910
売上金額(百万円)25,53526,10634,22535,64437,24338,25347,24448,97349,28651,71552,30553,96353,74852,09846,915
内訳食パン19.516.322.622.119.419.917.315.815.514.513.411.911.111.313.0
菓子パン32.733.437.837.334.232.628.326.728.726.626.123.923.823.724.3
その他パン0.00.00.00.05.45.06.77.06.46.26.25.45.14.74.2
  製品和菓子9.79.38.88.88.58.715.416.513.313.311.912.311.711.811.9
洋菓子12.010.39.99.59.69.36.95.86.06.56.16.05.86.16.6
その他0.90.90.10.20.20.30.71.01.21.31.31.61.00.00.0
小計74.970.179.277.977.275.875.372.871.168.464.961.158.557.659.9
  商品25.129.920.822.122.824.224.727.228.931.635.138.941.542.440.1
合計100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0100.0
日糧製パン『有価証券報告書』各期
1 製品のその他は漬物、飯物、麺類。
2 商品は所沢工場等からの仕入分。
3 その他パンは主にサンドイッチ、調理パン類。

 製品内訳は比率において食パンの長期低落傾向、和洋菓子も停滞・減少傾向がみられる。販売を支えた仕入商品とは、昭和六十一年には「米飯類・調理パン」(日糧製パン 有価証券報告書 第52期、昭62)、平成三年には「麺類・惣菜、米飯類、調理パン類」(日糧製パン 有価証券報告書 第58期、平4)である。特に米飯類の伸びは著しく、八年では仕入商品の半分をしめている。「米飯類につきましては出店の増加により需要が拡大しているコンビニエンスストア向け商品の供給体制を整備してまいりました」(日糧製パン 有価証券報告書 第62期、平8)との説明にあるように、この時期の販売額の伸びはコンビニエンスストアでの販売に対応したものだったのである。また、二年発売のチーズ蒸しパンのヒットにみられるような自社新製品の開発、拡販も行われ、販売額を支えていた。
 このようにバブル崩壊を乗り切るかにみえた札幌の製パン業界に衝撃を与えたのが、全国最大手山崎製パンの進出である。四年に山崎製パンがとんでん製菓(札幌)の恵庭工場と道内各地営業所を買収することが発表され(道新 平4・7・9)、山崎製パンはこれを札幌工場とし、食パン製造ラインの増強を行った(道新 平4・12・12)。山崎製となったパンは、とんでん製と比べてあんぱんは一個一四〇グラムが一六〇グラムに、食パンも一斤四五五グラムから四八〇グラムへ増量して販売された。小売店に対し返品制をやめ買取制を採用することから、返品分を織り込まないために増量(実質値下げ)が可能となったといわれている(道新 平5・5・14)。対する日糧製パンは、月寒の製パン工場に多機能ラインを設け、新商品投入に力を入れた(道新 平7・1・11)。
 製パン業界の苦境に、いわゆる焼きたてパン(小規模ベーカリー)の普及も拍車をかけた。日糧製パン、山崎製パンいずれも小売店向けの「卸パン」という同じ市場を争っていたが、その市場そのものが焼きたてパンにより狭められてきているのである。日糧製パンの動向をみると、九年八月、創業者一族に代わり三菱商事が筆頭株主となり(道新 平9・8・2)、十年十一月には本州の米飯製造からの撤退を決め(道新 平10・11・28)、ついに十一年六月には所沢工場を宿敵山崎製パンに売却し、本州から撤退することが決まった(道新 平11・6・5)。ロバパン(札幌)も生き残りをかけ国内シェア第三位のフジパン(名古屋)と資本・業務提携の合意をかわし、いわゆる大手の系列に入ることとなった(道新 平12・5・19)。