土木部門の需要の牽引者は何だったのだろうか。この点では、建築部門のような統計がないために、北海道の動向から推測すると、土木部門の八五・一パーセントは公共投資、残り一四・九パーセントは民間投資であった(北海道の建設業界、たくぎん調査月報 No.406、昭61)。たとえば昭和五十年代初頭の道内建設業は官公需六〇〇〇億円、民需三〇〇〇億円だといわれている(道新 昭51・1・14)ように、官公需=公共事業が重要な意義をもっていた。狂乱物価に対応する総需要抑制策として、四十九年二月に大蔵省は新年度公共事業を第二四半期(七月~九月)以降に繰り延べる方針を決めたが、北海道建設業協会では、冬季に不利になる北海道の特別扱いを求めた(道新 昭49・3・1)。ここで建設業界が要求したのは公共事業の早期発注であるが、その後の推移をみると、五十年五月には前年の二倍の発注があり(道新 昭50・6・21)実現したようである。ところが、総量が抑制されていることから、早期発注による秋以降の枯渇=「秋枯れ」が憂慮された。北海道建設業協会では、五十年度三五〇億円の不足という試算結果を出し、補正予算を北海道開発局などに要望した(道新 昭50・8・7)。その結果、十月には政府補正予算の北海道開発関係分と道、市町村単独合わせて四〇〇億円が実現している(道新 昭50・10・10)。
これ以降、公共事業の早期発注がほぼ毎年繰り返されることになる。「六月までに六割 公共事業の早期発注 道が方針」(道新 昭53・4・1)、「昨年度並みペース 国、道の道内事業発注率 九月末には84%へ」(道新 昭55・7・26)、「8月末で77・6% 道開発事業の契約順調」(道新 昭56・10・2)、「88・3%と過去最高 上半期道内公共事業の発注率」(道新 昭57・10・27)という状況である。ただし、早期発注だけでは、総量が限定されている場合に秋枯れの心配が生じる。昭和五十九年は不況と財政緊縮のためにその傾向が強かった。ともあれ、国、道、市町村による公共事業の帰趨が土木部門の盛衰に直接影響を及ぼしたのである。