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花き栽培の動向

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 本市における花き栽培地域については地域的集中傾向はみられず、生産者の多くは豊平区など各区の市街化区域内に立地してきた。
 作付面積の推移を示すデータを欠くが、四十年代なかば頃に二〇ヘクタール台であったから、その後に増加傾向を続けたとは考えにくく、おそらく停滞ないし漸減傾向を続けたと思われる。ただ、花きの粗生産額はこの間一貫して増加傾向を続けており、四十五年に一億五二〇〇万円で、粗生産額全体の一・五パーセントにすぎなかったものが、平成七年には七億八〇〇〇万円で、その割合も九・〇パーセントになった。その後は減少に転じて、十二年には四億七四〇〇万円に落ち込んだが、粗生産額全体はさらに落ち込んだため、逆にその割合は一一・一パーセントにまで高まった。かくてこの時期、花きは本市の基幹作目としての地位を確立したわけであるが、やはり昭和五十年代なかばに新しい動きが出て来たことが、このような成果を生んだといえる。
 花きを切花類と鉢花類に分けると、本市の場合ある時期までは鉢花類の比重が大きかったが、五十年代なかば以降における花き栽培の躍進を支えたのは切花でありその道外への移出であった。すなわち、やや行きづまりの来ていた切花生産に突破口を開くべく、五十四年から三カ年間、札幌花き生産組合と市農産課が共同で移出試験を行ったところ、受入市場の評価も高く、五十七年から本格的に道外への移出がスタートした。
 その後の推移は表53に示すごとくであり、平成五年まではきわめて順調であったといえよう。その要因としては、当初に主力商品であった宿根カスミ草について最初から共選共販体制を実施することができたこと、およびその後も生産・流通体制をレベルアップさせるための努力が行われたことが大きかった。すなわち、①昭和五十八年八月、市内農協に所属する花き緑花木生産者の連絡協調を図るとともに、関係機関との連絡を密にして栽培技術の向上と生産流通の発展に資することを目的に、札幌市花き緑花木生産者協議会が設立された。②六十年六月、市況情報を収集して、これを道内八カ所の花き卸売市場と関係機関に伝達し、価格の安定、取引の適正を図るべく花き情報センターがオープンした。③平成二年六月、共同育苗による本市独自の良質の生産供給体制を確立すべく、南区白川に花き共同育苗施設が設立された。④年次は不明であるが、ライラックとミスティーブルーが「さっぽろの花」としてブランド化された。
表-53 花き生産の推移
年度切花鉢花
栽培戸数
(戸)
栽培面積
(ha)
移出品目数移出本数
(本)
栽培戸数
(戸)
栽培品目数
昭57705230
 587067172
 596012532524
 6060121046624
 6165141835124
 6267172142924
 636717211,15023
平 16919341,18523
  26819368462120
  36819431,0022020
  46819408592025
  56619361,2482025
  66419321,0261925
  75615236201925
  85213305361825
  95012274931825
 104912126141825
 114812305201825
 124310294951725
 13509258091625
 14509267771625
札幌市の農業』各年による。各年度における主力商品は、宿根カスミ草(昭57~63)、カーネーション(平1~6)、スイートピー(平7~11)、ワレモコウ(平12~14)であった。

 六年以降は、栽培戸数、栽培面積、移出本数がいずれも減少傾向を続けているが、全国的に切花の作付増加による生産過剰が懸念される中で、需要動向に即応した特産花きの育成、高品質安定生産体制の確立、共同出荷のための産地及び生産組織の育成、強化を図りつつ、生産の拡大と「さっぽろの花」のブランド化を推進することが今後の課題とされている。