昭和四十六年(一九七一)に手稲鉱山が閉山して以降、豊羽鉱山は札幌市における唯一の本格的鉱山となった。同年八月のドル(ニクソン)ショック後に続く円高や銅鉛亜鉛などの国際市況の低迷という経済環境の変化を受けて、日本鉱業株式会社は経営の合理化を迫られ、傘下の豊羽、釈迦内、花輪、吉野、日立の五鉱山の分社化・子会社化を図った。その結果、四十八年六月、豊羽鉱山株式会社(資本金四億五〇〇〇万円)が設立され、豊羽鉱山は装いを新たに再出発することになった。鉱業権は日本鉱業(株)から豊羽鉱山(株)に所有移転された。この社名は三十七年四月に日本鉱業株式会社と合併する前のものと同一であり、それゆえ、これ以降について『豊羽鉱山三十年史』は「第二次豊羽鉱山時代」と称している。
なお神岡鉱山(岐阜県)が平成十三年六月に事実上の閉山を迎えた後、豊羽鉱山はわが国唯一の銅鉛亜鉛鉱山となり、十五年四月現在、他に金属鉱山として大々的に操業しているのは金鉱山の菱刈鉱山(鹿児島県)があるのみである(小さな鉱山としては道内の光竜鉱山など全国に若干の鉱山がある)。