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探鉱開発状況と高品位鉱脈の発見

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 「第二次豊羽鉱山時代」すなわち昭和四十八年の再出発は、豊羽鉱山としても実は余儀なくされたものであった。上述の経済環境の変化に加えて、四十七年上期には高品位富鉱体はほぼ掘り尽くされ、鉱脈の平均脈幅は次第に狭くなって採掘効率が低下し、赤字操業に陥ったからである。希望退職者募集などで一〇〇人余の従業員が削減され、再出発にあたっては、四十六年四月にせっかく達成された粗鉱月産六万トン体制は縮小されて三万六〇〇〇トンからとなった。このような厳しさの中での再出発ではあったが、四十八年末から非鉄金属の国際市況が漸く上昇に転じたことと、それよりもむしろ次のように探鉱が概ね順調に進んだことが鉱山の将来に期待を抱かせるに十分なものとなった。
 すなわち探鉱坑道の延長推移を表71でみると、四十八年度の三四五〇メートルから次第に延び、五十五年度の六二〇三メートルをピークとしているが、毎年度平均してほぼ四〇〇〇メートルに達している。このうち坑内探鉱は当初稼業中のマイナス四五〇メートル坑道(マイナス基準点は海抜約五六〇メートルの川上坑口)からさらに下部の六〇〇メートルまでを開発するために押し進められた。五十七年三月、第三立坑のマイナス六〇〇メートルへの掘り下がりが達成され、十二月には設備工事が完了して六〇〇メートル坑の基幹坑道化が進行し、さらに平成元年(一九八九)三月には第六立坑の積み込み設備が完成した(豊羽鉱山株式会社総務課)。
表-71 豊羽鉱山探鉱延長推移
年度坑道探鉱
(m)
年度坑道探鉱
(m)
昭483,450平 14,365
 494,162  23,246
 504,852  34,240
 515,015  44,152
 525,304  53,513
 534,637  64,660
 545,489  74,947
 556,203  85,677
 565,323  96,358
 574,432 105,822
 584,833 114,439
 594,070 124,440
 603,938 133,902
 612,198 143,366
 623,369 153,107
 634,107
昭和54年度までは豊羽鉱山30年史、それ以降は豊羽鉱山株式会社総務課より。

 またこの間、坑外探鉱で特記すべきものは高品位鉱脈「信濃𨫤(ひ)」の発見である。昭和五十二年度に金属鉱業事業団(平成十六年二月から独立行政法人「石油天然ガス・金属鉱物資源機構」)が実施した「定山渓地域精密構造試錐JT-16号」において、着鉱幅一四・一メートル、金〇・一グラムトン、銀四九一グラムトン、鉛六・一八パーセント、亜鉛三七・二二パーセント、硫黄二七・五パーセントという高品位脈に着鉱したことが発見につながったのである。当該地域は高温岩盤地域であるので、まずは通気網の整備を行いつつ坑道掘削を進め、五十六年から坑内試錐探鉱が開始された。当初は南北系の新鉱脈と考えられたが、六十一年からは東西系の鉱脈走向を想定した探鉱が実施された。このような探鉱の結果、マイナス三〇〇メートルから同六〇〇メートル間において一連の極めて優勢な鉱脈が確認され、六十二年十二月、この新鉱脈は「信濃𨫤」と命名された(豊羽鉱山株式会社探査課「信濃𨫤の概況」平成二年九月)。「信濃𨫤」の開発工事は翌六十三年十二月に着手され、待望の出鉱は平成三年四月から開始されている。