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「流通近代化」への取り組み

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 昭和四十年代に本格化したスーパーマーケットの進出は、札幌の中小小売商店や小売市場、商店街を次第に圧迫した。表17は市民の消費動向調査によるものであるが、市民の食料品購入場所が小売市場やデパート・小売店からスーパーマーケットや市民生協・農協にとってかわられているのがわかる。特に四十年に発足した市民生協は、札幌の物価問題に対する消費者運動を背景に、スーパー形式を取り入れて四十二年ごろから急速に店舗数を拡大し、特に昭和四十四、五年には食料品だけでなく衣料品や雑貨、インテリア関係も扱う大型ショッピングセンター形式の店舗を登場させ(道新 昭45・1・23)、出店付近の商店とのあつれきを生んだ。また道内で「小売店を圧迫する」として建設反対運動が起こっていたホクレンマーケットも、四十年十月一日に「農協のモデル店舗」として美園六条五丁目に開店した(道新 昭40・10・2)。
   表-17 食料品購入場所の推移(単位:%)
昭和40年昭和44年昭和46年昭和48年昭和51年昭和53年
小売市場40.436.132.928.823.420.9
スーパーマーケット20.326.325.433.134.640.8
生協・農協3.37.816.018.822.022.4
デパート・小売店・その他36.029.825.719.320.015.9
市民の消費動向調査から作成

 一方これに対して小売市場や小売商店は、自らもまた「セルフ・ワンストップショッピング」形式をとりいれスーパーマーケットとして生まれ変わるか、またアメリカで盛んとなったスタンプ商法を導入したり、あるいは「ボランタリーチェーン」を組織して、各地に分散する小売商店が独立性を維持しつつ共同広告、共同販売、商品開発、共同仕入れなどを行い、流通原価の引き下げと経営の近代化を図るなどの取り組みを行った。特に小売市場のスーパーマーケット化は、単に小さな商店の合体や共同組合の結成というだけでなく、従来の小売市場より大型化を図ることで、地域に進出してくるスーパーや都心部のデパート・商店街との競争にも打ち勝つという意図があり、月寒のショッピングセンターや南九条西一七丁目のまるとみマーケット、南一〇条西七丁目の新通市場などの小売市場がこのような動きをみせた(道新 昭40・8・30、昭41・9・10)。
 また市や商工会議所は、商工まつりの実施や商店街診断、商店街振興連絡会の結成など、小売市場や商店街の近代化を指導、援助したが、特に四十二年度からは農林水産省が「総合食料品小売センター施設整備事業」を発足させ、公設小売市場を物価対策と中小食料品小売業の近代化事業として位置づけたことから、札幌市もこれにならって翌四十三年寄り合い市場「南七条マーケット」を南円山公設市場(南七条西二三丁目)に指定した。公設小売市場の開設は大阪で成果をあげているが札幌で成果があがるかどうか疑問(道新、昭39・5・16)といわれてきたが、商品価格の安定や地区ごとの価格差解消を図るとともに、地域の中小小売店や小売市場にとって近代化のモデル店舗となるよう位置づけられ(札幌市の公設小売市場)、五十二年までに全部で九つの公設小売市場を開設した(表18)。
表-18 札幌市の公設小売市場
年月日市場名民営化の
年月日
昭43.12. 1南円山公設小売市場(中央区南7条西23丁目)平2.3
 45. 2. 1豊平八二公設小売市場(豊平区豊平2条2丁目) 2.3
 45.12.15光星公設小売市場(東区北12条東7丁目) 4.4
 47. 1.30青葉公設小売市場(白石区青葉町3丁目) 2.3
 47. 7. 9屯田公設小売市場(北区屯田3条4丁目) 2.6
 48. 5.10手稲山口公設小売市場(西区曙11条1丁目) 2.6
 49. 1.27もみじ台公設小売市場(白石区もみじ台北7丁目) 2.3
 49.12.22西岡公設小売市場(豊平区西岡4条13丁目) 7.7
 52.12.17南の沢公設小売市場(南区南の沢4条3丁目) 2.3
『札幌の公設小売市場』より作成