大型店の出店抑制は当初昭和五十七年から二年間といわれていたが、ちょうどこの時期は道内における出店が飽和状態に達してもいた。しかし六十年代に入ると道内地方都市への出店がほぼ一巡し、ふたたび都市化の著しい札幌への出店が模索されるようになった。特に平成になると日米構造協議の合意により大店法が改正され、平成二、三年にはかつてない出店ラッシュとなった。しかし四、五年になると競争激化を恐れ採算を重視して出店が中止され、また「時代遅れで売場面積も小さい」古い店舗の見直しが進み、郊外大型店のはしりともいえる西友月寒店も閉店に追い込まれた。一方イトーヨーカ堂の「スーパーと百貨店の中間的な性格をもつ新型百貨店」エスパやダイエーのハイパーマート、石黒ホーマ(平成7年からホーマック)や札幌フードセンターと業務提携したジャスコの進出もみられ、ジャスコは平成七年ドラッグストアのツルハととも提携をすすめた。
また平成四年完成したJR新札幌駅周辺の「アークシティ」や翌年四月の「サッポロファクトリー」など複合施設のオープンに対し、郊外周辺部では、本州系大型店に対抗して既に昭和六十年代から食品スーパーとホームセンターや家電専門店といった異業種の共同出店が進んでいた。この業態は集客力が見込め、共同で駐車場が利用できる利点があり、「山の手ストア」と昭和五十七年空知管内の衣料品スーパー「まるせん」が合併してできた「北雄ラッキー」や六十三年金市舘と大丸スーパーが対等合併して誕生した「ラルズ」など地場スーパーと、ホームセンターやドラッグストア、書店、レンタルビデオ店、カー用品店、家電専門店などが複合化し売上を伸ばした。しかし六年五月大店法が緩和され十二年六月の大規模小売店舗立地法の施行が現実味を帯びてくると、郊外大型店の出店は今までの主流だった八〇〇〇平方メートルをはるかにこえ、一万平方メートル以上に及ぶ近隣型ショッピングセンターへと移っていった。十二年にはフードセンターを合併して「マックスバリュ」を展開するジャスコが札幌への集中出店を計画するとともに、11月「イオン札幌平岡ショッピングセンター」をオープンさせた。
これに対し、平成二年五月に市民生協「コープさっぽろ」は、大手スーパーとの競争や無理な多角化により八年度約二一億もの赤字を抱え、十一年にはツルハやニトリなどの量販店をテナントに迎えざるを得ない状況となり、またハイパーマートが支持されなかったダイエーも経営不振に陥った。また北海道は、ニトリ、ラルズ、ホーマック、マイカル北海道など業界トップの独り勝ち現象が起こりやすいといわれ、(道新 平11・4・22)これらの企業のいくつかは道外進出を果たしたが、ドラッグストア、家電量販店、紳士服業界などいずれも本州資本の進出がみられ競争が激化している。また輸入雑貨・衣料品販売のブルーハウスの破産(平成9年1月)、酒販ディスカウントストア・デリーズの破産(平成10年3月)、本の店岩本の文教堂への経営譲渡(平成12年10月)など急速な店舗拡大や過剰な安売りにより経営破綻する郊外大型店もでてきている。