ビューア該当ページ

沖縄返還と反安保体制の終焉

481 ~ 483 / 1053ページ
 昭和四十六年(一九七一)六月十五日、日米両国政府が沖縄返還協定に調印し、沖縄返還運動の焦点は協定批准問題に移った。「核も基地もない完全返還」を要求してきた社会党や共産党、総評、中立労連などは、批准反対に向けて全国規模のストライキや大衆行動を数次にわたり組織し、札幌など道内各地でも大規模抗議集会やデモなどを波状的に展開した。反対運動は十月招集の臨時国会に向けてさらに高まり、同年「一〇・二一国際反戦デー統一行動北海道集会」では二年ぶりに社・共両党の一日共闘が成立した。札幌大通広場に労働組合員など一万七〇〇〇人が参加したほか、別行動の学生グループがアメリカ領事館への突入を図り、北大正門前で学生と警官隊が衝突し双方に負傷者が出た(道新 昭46・10・22)。その後も十二月定例国会招集まで大集会やデモが連続的に行われ(表1)、秋季賃金要求に合わせた「一一・三〇集会」には労働組合員など七六〇〇人が参加して気勢を上げたが、十二月二十二日の国会批准と関連法案通過後、運動は急速に先細りとなった。
表-1 昭和46年 沖縄返還協定反対連続全道集会(11月~12月)
区分集会名会場参加人員
11月10日沖縄全県ゼネスト連帯北海道集会大通西6丁目広場7,600
11月19日沖縄協定粉砕・佐藤内閣打倒全道総決起集会大通西6~8丁目広場22,000
11月22日沖縄協定反対・強行採決阻止緊急全道集会同上5,600
11月24日沖縄協定反対・強行採決抗議緊急全道集会同上5,800
11月30日沖縄協定批准・関連法案反対・佐藤内閣打倒・国会解散全道集会同上7,600
12月 7日沖縄協定批准関連法案反対・反合理化・年末一時金獲得・佐藤内閣打倒・国会解散全道集会同上3,600
12月22日日米沖縄協定反対・全面返還要求・軍用地収容法案反対・自衛隊沖縄配備阻止・日中国交回復・国民生活擁護・佐藤内閣打倒・国会解散全道大会大通西6丁目広場3,500
全北海道労働組合協議会『全道労協運動史』による。

 翌四十七年の第四三回メーデー全道集会は四年ぶりに全道労協・道同盟など労働六団体による統一集会が復活し、社・共・民社各党に公明党も初めて実行委員会の特別加盟団体に加わった。しかし、参加者数はむしろ減少し、安保改定反対闘争時に比較して半数規模になった(表2)。また、沖縄県が発足した同四十七年五月、社・共両党や全道労協・札幌地区労など主催の「五・一五沖縄協定発効抗議全道集会」が札幌で開催されたが、学生集団も排除され、参加者は三六〇〇人にとどまる。さらに同年の一〇・二一国際反戦デー統一行動は、東京で社・共の一日共闘が成立したが、札幌における全道集会は、「ベトナム侵略糾弾・基地撤去・生活防衛・安保破棄」など同じ目標を掲げながら、札幌地区労など共催団体の構成をめぐって同年末の総選挙を意識する社・共間の合意がならず、全道労協・札幌地区労・社会党主催と共産党系団体主催の二つの大会が開かれ、盛り上がりを欠くものとなった。その後、労働組合による秋季・年末闘争では、ベトナム戦争糾弾をスローガンに掲げながら、おりからの物価高騰の影響を受けて「生活防衛」要求の色彩が強いものとなり、具体的な労組活動の重点は十二月の総選挙に移った。
表-2 北海道中央メーデー集会参加状況の推移
  種別
年次  
全道労協・中立労連系北海道同盟系
参加人員会場参加人員会場
昭4535,000大通西7・8丁目広場1,000札幌市民会館
 4814,000同上720大谷会館
 5015,000同上1,500同上
 5215,000同上1,200同上
 5410,000同上1,200同上
 5618,000同上2,200中島公園
 5820,000同上2,500同上
『資料北海道労働運動史』各年版による。