同訴訟は、四十四年に防衛庁地対空ミサイル・ナイキJ装備のため農林省が国有林指定を解除して以来、現地反対運動に続く「保安林解除処分取り消し」訴訟で「戦力」と「自衛隊」をめぐる激しい憲法裁判となっていたものである(市史5上 七章)。自衛隊の合・違憲性に裁判所が初めて言及し、しかも「自衛隊違憲」の歴史的判決を受けて、訴訟を支援してきた全道労協、社・共両党主催の報告全道大会が当日午後六時から札幌大通広場で開催され、参加者四二〇〇人が「違憲の自衛隊解散」を叫び、札幌駅前通でフランスデモを繰り広げた(道新 昭48・9・7)。同年の一〇・二一国際反戦デーは、中央でも社・共、公明の三党や総評・中立労連等の一日共闘が成立し、東京ではベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)など一六団体共催で「そらみろ長沼判決・自衛隊をつぶせ!市民集会・デモ」も行われた(吉川勇一 ベ平連年表)。しかし、自治労道本部が「自衛官の募集業務拒否」を決議するなど「反自衛隊・反基地」を高く掲げた全道統一集会は日曜日のため翌日に延期され、二十二日は雨で中止となった(道新 昭48・10・22)。一方、長沼ナイキ訴訟は国側の控訴に対して、札幌高等裁判所が五十一年八月、「不利益はすでに補填」されたとして一審判決を取り消し、住民側の上告に対して最高裁第一小法廷も五十七年九月九日、憲法問題には触れず、代替施設により訴えの利益はなく「本件上告を却下する」との判決を下し終結した(道新 昭57・9・10)。
写真-1 札幌駅前通でのデモ(昭48.9.7)