四十一年に社会党・総評ブロックの提唱で始まった一〇・二一国際反戦デー東京集会も、一日共闘を除き事実上分裂していたが、五十一年から社・共両党の共闘が復活した。しかし五十五年、社会党・公明党間などの連合政権構想で共産党除外の方向性が示されたことから、共産党が社会党・総評ブロックを「右転落」と激しく批判して対立が激化し、翌五十六年にまたも分裂した。北海道では社・共共闘成立の五十一年以降、一〇・二一国際反戦デーを主軸に多様な反戦平和運動を組織し、社・共両党間対立の影響を受けながらも、独自方式によって五十七年まで札幌における一〇・二一北海道統一集会を継続した(表3)。しかし、五十八年には再び分裂し、さらに翌五十九年、同運動の提唱団体だった社会党・総評ブロックが「国際反戦デー」の呼称をやめたのに合わせ、全道労協系の北海道統一集会も、一〇・二一統一行動日の「集会目的は歴史的に達成された」として国際反戦デー二〇周年の昭和六十年を最後に終結し、その後は北海道平和運動フォーラムなどに継承された。おりから、労働戦線統一問題をめぐる社会党系と共産党系労働組合間の亀裂の深まりで、反戦・平和運動における対立構造も決定的となった。そして、政党や労働団体中心に組織される平和運動は、似通った目標やスローガンを掲げながら、実際はそれぞれの勢力誇示の色彩が濃厚になる一方、次第に政党や労働組合など既成組織の制約を越えた一般市民運動(活動)が活発になった。こうした活動は、札幌市議会による「非核三原則」に関する意見書(昭56)、「核兵器廃絶」に関する意見書(昭57)の採択に続いて、市の「平和都市宣言」(平4)や、道内初めての市議会によるフランス・中国の核実験停止を求める意見書決議(平7)などにも反映された(道新 平7・7・28ほか)。
表-3 10・21国際反戦デー統一行動北海道集会の推移(昭和51~57年) |
年次 | 集会の名称 | 主催団体 | 集会場所 | 参加人員 |
昭51 | ロッキード事件徹底糾明、アメリカの朝鮮における戦争挑発糾弾、安保廃棄、国民生活防衛、金権腐敗自民党政治打倒10・21全国統一行動全道集会 | 社会党道本部・共産党道委員会・札幌地区労・護憲反安保道実行委員会・安保破棄諸要求貫徹道実行委員会・社青同道地本・民青同道委員会・日本婦人会議道本・新日本婦人道本 | 札幌市大通西8丁目広場集会後、市内中心街でデモ | 5,000 (うち札幌地区労700人) |
52 | 日米「韓」軍事一体化反対、日「韓」癒着徹底糾弾、基地撤去、安保条約廃棄、長沼闘争勝利、国民生活防衛10・21全国統一行動北海道集会 | 上記団体に、北海道中立労連が加わり11団体で構成 | 上記に同じ | 6,400 |
53 | 「有事立法」粉砕、安保条約廃棄、朝鮮の自主的平和統一支持、道民生活防衛10・21全国統一行動北海道集会 | 10・21北海道統一行動実行委員会 (主な構成団体は上記に同じ) | 上記に同じ | 3,450 |
54 | 日米共同作戦体制強化・「有事立法」反対、安保条約廃棄、インドシナ問題の平和的解決、朝鮮の自主的平和統一支持、国民生活防衛10・21全国統一行動北海道集会 | 「有事立法」粉砕北海道共闘会議 (主な構成団体は上記に同じ) ※翌日が日曜日のためとして、東京の中央集会に合わせ10月20日に実施 | 上記に同じ | 1,700 |
55 | 憲法改悪反対、政治反動・軍国主義化阻止、前面軍縮、金大中氏救出、日米安保条約廃棄、世界の平和確立、道民生活防衛10・21全国統一行動北海道集会 | 全国統一行動北海道集会を成功させる実行委員会 (幹事団体は、前年構成団体から札幌地区労を除く10団体となる) | 上記に同じ | 11,000 |
56 | 日米軍事同盟粉砕、安保条約廃棄、非核三原則堅持・法制化、核兵器禁止、前面軍縮、憲法改悪阻止、教育の国家統制反対、国民生活防衛、福祉切りすての行革反対、朝鮮の自主的平和統一支持、世界の平和確立10・21全国統一行動北海道集会 | 上記に同じ | 上記に同じ | 8,600 |
57 | 安保条約廃棄、核兵器全面禁止・軍縮実現、日部合同演習反対、憲法改悪阻止、人勧凍結粉砕、軍事費削減、福祉切り捨て・軍拡臨調反対、ロッキード疑獄糾弾、国民生活防衛、アジアの平和確立、自民党政治打破10・21全国統一行動北海道集会 | 上記に同じ | 上記に同じ | 8,900 |
『資料北海道労働運動史』各年版、『全道労協運動史』、札幌地区労働組合協議会『経過報告書』各年より作成。 集会の名称のうち「10・21」の表記は漢数字と算用数字があるが、算用数字に統一した。 |