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狂乱物価と賃上げ闘争

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 昭和三十五年(一九六〇)頃から、総評を中心とする春闘方式による賃上げ要求が広範囲に浸透し、人手不足と生産性の向上を背景に右肩上がりの高額回答が続いた。その結果、労働側が「総がかり・総ぐるみ」を標榜した四十七年春闘では、四十年に約二万円だった北海道内の基準内賃金が五万円台に乗り(表9)、夏季・年末手当等を含めた年間賃金も急速に上昇した(表10)。さらに翌四十八年の賃上げ要求でも総評や中立労連などで組織する春闘共闘委員会は、インフレムードの高まりや労働力需給の逼迫を背景に大幅賃上げを要求し、合わせて労働条件の改善や年金改正など国民的諸要求を強く打ち出した。そして四月二十七日の統一ストライキでは、国労・動労、全逓など公労協(公共企業体等労組協議会)の拠点ストに合わせ、自治労・日教組(北教組)・高教組など公務員共闘も初めて参加した。同盟も「生産性を上回る賃上げ」を強調して運動を強め、道内民間六五〇社の平均妥結額が初めて一万円台(賃上げ率二〇・四パーセント)に達し、続く夏季・秋季年末の「インフレ抑制・大幅一時金獲得・インフレ手当」等要求でも道内民間の年末一時金妥結額は対前年比四二・四パーセントと大幅に上昇した(資料北海道労働運動史)。しかし、この間の十月に発生した第四次中東戦争を機に原油価格が急騰し、全国各地で消費者のトイレットペーパーや砂糖、洗剤、灯油などの買いだめに加え、小売業者などの売り惜しみが続発して物価を押し上げ(表9)、福田赳夫蔵相が「物価高は思惑であり投機的で狂乱状態」と指摘する高騰を続ける状況となった(道新 昭49・1・13)。
表-9 道内民間企業の春季賃金値上げ妥結状況(昭和45~55年)
  種別
年次
調査対象事業所数妥結前の平均賃金
(月額)
値上げ要求平均額値上げ妥結平均額
(定期昇給込み)
妥結前賃金に対する値上率消費者物価対前年比上昇率
%%
昭4546934,8919,2485,80016.67.3
 4662741,15611,6506,80616.56.2
 4770946,56113,5527,46316.05.2
 4865054,81617,23811,20920.411.4
 4966766,23832,93222,76234.424.2
 5061787,03334,64715,53717.912.6
 51614101,51025,71510,38010.29.2
 52572110,62623,37510,8469.87.7
 53522122,51320,7267,9246.53.7
 54565128,78317,5288,1286.33.8
 55541135,33819,5329,9817.48.5
『資料北海道労働運動史』より作成。調査対象事業所は従業員規模1,000人未満の民間企業で、値上げ妥結平均額には定期昇給分を含む。

表-10 札幌市の賃金・消費支出額・労働時間等の動向(昭和45~55年)
   種別
年次
勤労者1人あたり
月平均賃金
勤労者1世帯月平均消費支出金額昭45を100とした消費物価指数勤労者年1人平均労働時間勤労者月1人平均労働時間1ヵ月あたり出勤日数
時間時間
昭4581,59485,947100.02,364197.023.6
 4693,87994,135106.22,320193.323.6
 47109,688102,109110.42,266188.823.5
 48126,717129,098122.92,248187.323.4
 49162,717140,054150.42,197183.123.0
 50194,049161,686170.32,194181.222.8
 51220,157186,041186.42,219184.923.3
 52241,233192,921202.12,209184.123.3
 53259,809201,547209.52,228185.723.3
 54273,186215,265217.22,196183.023.0
 55301,349231,410235.02,182181.823.0
『札幌市統計書』より作成。勤労者平均賃金は、各年12月末の常用労働者が30人以上の民間事業所のうち、おおむね130~150事業所(約3万6,000~4万8,000人)で現金で支払われた給与を12カ月で除した単純平均額。勤労者世帯対象は、各年65~95世帯、家族数おおむね3.4~3.8人の有職者人員1.2~1.5人の世帯。労働時間及び出勤日数は「毎月勤労統計調査」による。

 四十九年賃上げ要求で春闘共闘委員会は、弱者救済、反インフレ阻止、スト権奪還をからめて「国民春闘」を呼号し、公労協中心の三・一ストに続いて民間・官公労による三・二六ゼネストなどで攻勢を強めた。道春闘共闘委員会も、①生活困窮世帯への一時金三万円支給、②年金など諸給付への緊急スライド導入、③公共料金の二年間凍結、④大企業の原価公開の四大要求を中心にかかげ、三月二十六日には最大二四時間から二時間の時限ストや職場集会を実施し、道内でも三八単産・二〇万人が参加した(道新 昭49・3・26夕)。官公労のスト参加者には厳しい行政処分が行われたが、道春闘共闘委は札幌厚生年金会館に五〇〇〇人を集め「田中内閣打倒、ゼネスト突入宣言、四・四全道総決起集会」を開催し、四月十一日「74春闘ゼネスト」では、国労・動労・全動労のほか、札幌など都市交通、全自交・ハイタク労協、全日通、運輸労連などが二時間から終日にわたる官民統一ストを強行した。道内の交通・運輸機関が麻痺し、日本航空など航空便も全便欠航した(道新 昭49・4・12)。同日、全逓・全電通も終日、自治労が半日、北教組・道高教組も初めての全一日ストライキを実施した。同日夕刻から、道警が北教組の本部や道内支部事務所など一九二カ所を地方公務員法違反容疑で家宅捜索を行うなど騒然とした雰囲気に包まれたが(北教組史 第五集)、同年春闘の全国民間主要大手平均妥結賃上げ率は三二・九パーセント、道内民間も賃上げ率三四・四パーセント(二万二七六二円)と春闘史上最高の賃上げを記録した(表9)。また、夏季一時金も全国民間大手で前年比四七パーセント増、道内民間でも前年比四四パーセント増を獲得し、年末一時金も全国民間大手平均妥結額が三五万円台(前年比二七・四パーセント増)、道内民間六四一社平均で二五万円台(前年比三〇パーセント増)に乗るなどで、月平均賃金も月平均消費支出金額を上回るようになった(表10)。
 物価安定と賃上げに関する議論が急速に高まったが、翌五十年の賃上げ要求でも、春闘共闘委は三〇パーセント以上、同盟も「インフレに対する労組の社会的責任を考慮して二七・〇パーセント」を要求し、五月の統一地方選挙をはさみ数次の統一ストを展開した。道内でも、国労・動労、全逓、全電通など公労協が七二時間から九六時間の拠点波状統一ストを実施し、国鉄全線の「完全マヒ」により三〇万トンの貨物が「立ち往生」して「週刊誌入荷ゼロ」となり、郵便局には「滞貨の山」ができ「郵便七〇万通」が滞る事態となった(道新 昭50・5・9ほか)。しかし、おりから進行しつつあった不況感の高まりのなかで「企業別組合を基底とする民間労組と〝親方日の丸〟の官公労組との意識のズレも」生じ(同前)、また、民間・公共企業体ともに妥結額・値上げ率は前年を下回る結果となった(表9・表11)。その後、経済不況の波が急速に高まり各業種で工場閉鎖や解雇、退職募集などが広がる。五十一年の賃上げ要求で同盟は実質賃金重視に転換し、春闘共闘委員会も初めて前年を下回る要求としたものの四月二十日には、全道労協加盟の国労・動労・私鉄中心の「交通ゼネスト」に入った(道新 昭51・4・20)。さらに四月二十七日、道春闘共闘会議が「道民に訴える声明」を出し、官公労組合のほか私鉄総連・全北電・ハイタク労連など、二四単産・六単組一六万五〇〇〇人が実力行使に参加して「地域統一スト」を実施するなど激しい運動を展開したが(同前 4・27)、賃上げ率は一〇・二パーセントにとどまり、これが基準内賃金比二けたパーセント賃上げの最後となった(表9)。
表-11 昭和50年公共企業体職員賃上げ状況
基準内賃金ベースアップ定期昇給賃上げ妥結状況前年度妥結状況
値上げ額値上率値上げ額値上率
%%
国鉄134,23515,3392,79218,13113.5129,28328.02
電電公社110,93513,4752,98416,45914.8426,02830.61
専売公社120,55114,2443,03817,28214.3427,54229.41
郵政115,50513,8402,85316,69314.4526,78529.99
林野126,83614,7472,74017,48713.7928,34029.05
印刷119,49014,1592,61716,77614.0427,38929.40
造幣119,94214,1952,77116,96614.1527,24929.45
アルコール専売129,47814,9582,83617,79413.7428,90628.19
単純平均122,12214,3702,82917,19914.0827,69129.22
加重平均121,73514,3392,86717,20714.1327,59429.27
『道新』(昭50.5.10夕)より作成。

 経済成長率も、五十年以降三パーセント台から五パーセント台で推移したが、五十五年にはマイナス成長となった。この間に中央では、鉄鋼・造船・電機・自動車など主要大手が、鉄鋼の「一発回答」を中心とする金属労協の「集中決戦方式」による傾向を強め、五十二年には私鉄総連が自主交渉路線を選択し、交通ゼネスト方式が崩れた。以降、私鉄総連は、国労・動労との連携を保ちながらも、次第に金属労協など民間労組との連携を強めるようになった。また公労協の中でも、全逓が五十三年春闘のヤマ場で公労協統一ストを回避してその後の公労協共闘体制に影響をもたらし、同じく主力の全電通が「春闘見直し論」を提唱するなど、春闘始まって以来の大きな転換期に入った(新版日本労働運動史)。