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行政改革の浮上と市バス路線委譲問題

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 合理化の波は官公営事業所にもおよび、昭和五十五年(一九八〇)二月、国鉄職員七万五〇〇〇人減員の三五万人体制をめざす国鉄再建措置法案が閣議決定された。道内では四月、国鉄ローカル線廃止反対北海道共闘会議が発足し、十月には札幌市民会館国鉄ローカル線廃止反対全道決起集会などが開催された。十一月に入ると、公務員六〇歳定年制導入・退職手当削減法案に対する反対運動が、また札幌市の退職手当・期末手当削減方針に対する市労連の反対運動も本格化した。国労・動労は国鉄再建法案の参議院審議に向けて十一月二十五日、道内拠点一三線区で二時間、拠点外で二九分ストを強行し、全道労協傘下の二四単産一三万人も地域統一ストライキとして二九分ストなどを実施した(道新 昭55・11・25夕)。翌二十六日、定年制反対などで時限ストを計画した道公務員共闘(一三万人)は定年制廃案見通しからストを中止したが、退職手当・期末手当削減交渉が決裂した札幌市労連(一万三〇〇〇人)は同日、始業時一時間の独自ストに続き翌二十七日にも二時間ストに入り、家庭ゴミ三〇〇トンが回収不能となった(道新 11・27夕)。翌二十八日の深夜交渉で札幌市は退職手当削減問題を白紙撤回し、二十九日の市労連第三波ストは回避されたが、国会では同日、国鉄再建法が成立し、道内のローカル線廃止・職員合理化に拍車がかかることになった。
 また、北海道庁の出先・地方機関五七九カ所を、廃止・移管・統合などにより五三九カ所とする再編整備計画が五十四年十一月に浮上して以降、道の「行政改革実施大綱」に反対する全道労協・道公務員共闘・札幌地区労などによる「住民サービスを切り捨てる道庁機構改悪反対北海道共闘会議」のほか、全道で三〇を超える地域共闘組織が結成された。もなみ学園・障害者更生指導所・婦人相談所・中央乳児院・北野病院などが対象となった札幌では、全道庁による冬期間の道庁前庭座り込み集会や時限スト、札幌地区労による反対集会や市議会への請願などが活発に展開された。結論は五十六年に持ち越され、道内市町村議会の反対決議一四、陳情請願一七など運動は一定の広がりをみせたが、道の再編方針は変わらず、部分的手直しを除き同年中に大部分が実施された(資料北海道労働運動史)。また、政府が五十五年一月に決定して以降、廃案と継続審議を重ねていた公務員の退職手当削減及び六〇歳定年制導入法案に対し、道内でも公務員共闘を中心に全道集会や街頭デモ、五十六年五月には時限ストも実施されたが、六月六日の国家公務員定年制法案成立に続いて十一月十三日、地方公務員の六〇歳定年制法案が成立した(昭60年施行)。
 一方、札幌地下鉄東西線延長区間開業(昭57・3)を目前にした五十六年十一月、札幌市交通局で、市営バス二路線の民間への委譲問題が浮上した。地下鉄の延長で中央バスが年間六〇億円を超える減収になる補償としてバス路線委譲交渉を交通局が開始したことから、沿線住民より市議会に対し、民間「独占路線」は「サービス低下」につながるのではとの懸念から反対陳情が提出された。五十七年一月、市交通局労組と札幌地区労も、民間経営は「営利が優先」になるとして委譲反対共闘会議を結成し(道新 昭56・1・12)、「公共、民間両企業の共存」が最良とする交通局と、事実上「一挙に合理化が進む」ことを懸念する組合側の主張が正面から対立した(道新 昭56・1・14)。交通局労組は十八日から三日間連続超過勤務拒否闘争に入ったが、地下鉄・市電・市バスの終日間引き運転により「事実上の二時間スト」となり(道新 昭56・1・20)、十九日からの吹雪が混乱に追い打ちをかけた。「甘えるな」「親方日の丸」といった反感が「我慢も限界」の「凍える乗客」に広がり(道新 昭56・1・20夕)、解決は雪まつり後に延期されたが、六月から中央バスが運行を開始した。