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国鉄解体と分割・民営化問題

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 昭和六十二年(一九八七)四月、国鉄は一一四年の歴史を閉じた。JR(北海道旅客鉄道(株)及び貨物鉄道(株)など旅客鉄道六社、貨物鉄道一社)など一一法人及び国鉄清算事業団に分割され民間企業として出発し、旧職員のうち一九万二〇〇〇人が定年退職や希望退職、転職などにより国鉄を去った。全国一一法人に採用された職員数は、計画総数二一万五〇〇〇人を下回る二〇万六四八人で、五十七年の国鉄職員数四〇万一三六二人(三月三十一日現在)の半数となり、新会社で不採用となった七八〇〇人が雇用対策職員として三年間の猶予つきで清算事業団に残された。JR北海道では、採用職員数一万二七二〇人に対し、不採用の清算事業団職員数が全国不採用数の半数以上を占め四〇七〇人に達した。国会では「採用では、所属組合による差別はしない」旨の付帯決議が行われたが、不採用者の所属組合別内訳は国労組合員が七三パーセント、全動労が一七パーセントを占める結果となり(表13)、苗穂機関区では新設の鉄道労連組合員の不採用が一人に対し、全動労では希望者二五〇人中一七八人が不採用となった(表14)。その後、追加採用や広域採用、道庁や札幌市などによる公的採用、さらに民間会社への転職等により翌六十三年一月現在の道内不採用者数は二五九一人となったが、うち国労組合員が七九パーセントを占め、全動労不採用者の大半は旧札幌鉄道管理局管内職員が占めた。旧国鉄内各労働組合は、新会社発足時期を挟んで国労の分裂、鉄労・動労の連合など組織再編が激化し、国労、全動労と別に鉄道労連(=鉄道総連・JR総連)や鉄産総連(のちJR連合)が発足した。道内では、北海道旅客鉄道労組や北海道鉄道産業労組などに集約されて各上部組織に加盟したが、四十年に四万人、五十五年で三万七〇〇〇人近かった道内の国鉄組合員総数は、不採用者を含めて一万四六七二人と半数を大きく割り込んだ。そして、札幌の戦後労働運動と地区労結成時に中心的役割を果たし、春闘の中核を担ってきた旧国鉄札幌管内の労働組合の組織状況も大きく変貌した(表15)。
表-13 道内の国鉄清算事業団雇用対策職員数の状況
項目釧路旭川札幌青函総計
昭62.4.1現在8151,3951,5483124,070
 所属組合別人員:国労2,740、全動労708、鉄産労連541、
         鉄道労連37、未加入44
昭63.1.1現在5451,0937571962,591




国労5221,0593101482,039
全動労1152783297
鉄産労連0151394158
鉄道労連13116
その他1111294091
『資料北海道労働運動史』より作成。典拠は国鉄労働組合本部調(昭63.1.1現在)。組合名は調査時の名称。減少数は、JR北海道の追加採用281人・広域採用839人・道庁や札幌市など公的採用70人、民間会社88人、退職を前提にした休職者194人、死亡その他。

表-14 苗穂駅及び苗穂機関区の組合別採用・不採用状況
(昭和62年2月12日現在)
 組合別希望者数
(人)
採用者数
(人)
不採用者数
(人)
不採用率
(%)
苗穂駅国労75245168.0
鉄産労連5500
鉄道労連171700
97465152.6
苗穂機関区国労2451979.2
全動労2507217871.2
鉄産労連1210216.7
鉄道労連18818710.5
47427420042.2
『資料北海道労働運動史』昭63~平4年版による。組合未加入者は除く。

表-15 国鉄及びJR道内主要労働組合の組織状況
昭和55年昭和63年
労働組合名組合員数労働組合名組合員数
国鉄労組(国労)北海道本部28,307国鉄労組(国労)北海道本部3,827
 うち札幌地方本部11支部13,312 うち札幌地方本部1,102
鉄道労組(鉄労)北海道評議会978北海道旅客鉄道労組7,684
 うち札幌地方本部19支部572 うち札幌地方本部3,280
国鉄動力車労組(動労)道本部5,692北海道鉄道産業労働組合2,832
 うち札幌地方本部12支部1,568 うち札幌地方本部1,344
全国鉄道力車労組連合会(全動労)北海道協議会1,889全動労北海道地方本部329
 うち札幌地区13支部1,794 うち札幌地区2支部180
合計36,866合計14,672
 うち札幌地方・地区17,246 うち札幌地方・地区5,906
『北海道労働組合名鑑』各年より作成。昭和55年には、上記のほか全国鉄道施設労組(全施労)道地本(22人)があった。各組合札幌地方本部内の支部・分会等の地域的区分は一定ではない。北海道旅客鉄道労組は全日本鉄道労働組合総連合会(鉄道労連→JR総連)、北海道鉄道産業労働組合は日本鉄道産業労働組合総連合(鉄産総連)に加盟。鉄産総連は平成4年(1992)日本鉄道労組連合会(JR連合)となる。

 全国的にも、またJR北海道内でも少数派となった国労道本部は、新会社への採用で差別・選別されたとして道地方労働委員会に不当労働行為の救済申し立てを行うなど、会社側との対決姿勢を強め、全動労道地本も道地労委闘争を強化した。その後、道内自治体採用者(延べ五四〇人、うち道庁三九二人・札幌市五六人)や退・転職者などで人員は漸減したが、平成元年(一九八九)一月、道地労委は所属労組による採用差別を認め、JR北海道とJR貨物に対し国労一七〇四人、全動労三一三人の救済命令を出した。これにJR側が再審査を申し立て、一方、国労道本・札幌地本組合員らは札幌駅北口にテントを張り、二六時間から七二時間のハンガーストライキや啓発運動、総決起集会などで救済を訴えた(道新 平1・2・17など)。全道労協・各地区労の支援による各種集会や支援活動がその後も活発に行われ、救済に関する意見書や決議が道内自治体八〇議会で採択されたが、二年四月、「再就職促進に関する特別措置法」が失効し、なおも解雇撤回を要求する全国一〇四七人、道内で五二一人(国労組合員四五七人・全動労同六四人)が清算事業団を解雇され、「国労闘争団」と「全動労争議団」が結成された(資料北海道労働運動史)。四年から五年、中央労働委員会はJRに対して救済命令を出したが、JR側が命令の取り消しを求めて東京地裁に行政訴訟を起こした。東京地裁は八年、労使双方に和解を勧告したが会社側がこれを拒否して以降、十二年現在も問題は解決していない(国鉄労働者の解雇撤回をめざす2月札幌集会報告集)。