表-39 札幌選出の女性議員 |
1 札幌市議会 |
選挙年 | 定数 | 議員名(選挙区と所属政党) |
昭46 | 60 | 猪股嘉子(共)坪谷道子(社) |
50 | 68 | 坪谷道子(北・社) |
54 | 70 | 山根泰子(白・共) |
58 | 70 | 山根泰子(白・共) |
62 | 70 | 飯坂宗子(東・共) |
平 3 | 71 | 中嶋和子(中・ネ)、飯坂宗子(東・共)、佐々木周子(東・ネ)、武藤光恵(白・共)、山口たか(豊・ネ)、横山博子(西・共)、井上ひさ子(手・共) |
7 | 69 | 岩木みどり(中・無)、中嶋和子(中・ネ)、飯坂宗子(東・共)、佐々木周子(東・ネ)、武藤光恵(白・共)、宮村素子(豊・自)、山口たか(豊・ネ)、横山博子(西・共) |
11 | 68 | 小林郁子(中・ネ)、坂本恭子(北・共)、青山浪子(北・公)、飯坂宗子(東・共)、武藤光恵(白・共)、山口たか(豊・ネ)、宮村素子(清・自)、岡千陽(清・共)、岩村米子(南・共)、井上ひさ子(手・共) |
15 | 68 | 小林郁子(中・ネ)、小形かおり(中・共)、佐藤典子(北・ネ)、坂本恭子(北・共)、青山浪子(北・公)、飯坂宗子(東・共)、伊藤りち子(白・共)、坂ひろみ(豊・ネ)、宮村素子(清・自)、三宅由美(南・民)、井上ひさ子(手・共) |
2 北海道議会 |
選挙年 | 議員名(選挙区と所属政党) | |
昭46 | 渡辺和歌子(社) | |
48(補欠) | 松尾静江(自) | |
62 | 山根泰子(白・共) | |
平 3 | 小原葉子(手・社) | |
7 | 小原葉子(手・社) | |
11 | 新野至都子(北・共)、山根泰子(白・共)、小原葉子(手・無) | |
15 | 大崎誠子(東・自)、須田靖子(手・無) |
『札幌の選挙』『北海道の選挙』『札幌市選挙のあゆみ』より作成。 選挙区は、北(北区)、白(白石区)、東(東区)、中(中央区)、豊(豊平区)、西(西区)、手(手稲区)、清(清田区)、南(南区)と略記、所属政党は、共(共産党)、社(社会党)、ネ(市民ネット)、自(自民党)、公(公明党)、無(無所属)と略記。ただし、議員名は札幌市議会事務局『議会要覧』各年等によった。 |
政令指定都市として選挙区が区ごとに細分化されてしばらく女性の地方議会当選は困難だったが、平成三年(一九九一)から急テンポで増加し、札幌市議会に占める女性議員の比率も七年に一一・五パーセント、十一年に一四・七パーセントとなった。特に三年に初当選者を出した市民ネット(市民ネットワーク北海道)は、生活クラブ生協の「意志ある組合員が中心となって」前年に結成し、議員を市民の「代表」でなく「代理人」と位置づけて二期交代の原則を決め、市民が政治の主体として積極的に参画していく活動を展開した。札幌市議会の三人は初めて「女性のみ」の会派を結成し、女性・環境・福祉政策等に力を注いだ(市民ネットワーク北海道10年のあゆみ)。こうした中で議会における女性政策に関わる動きも一段と活発になった。以下『札幌市議会小史』や市議会会議録から主なものを紹介する。
まず昭和五十五年(一九八〇)、滝沢隆(社)は職場の男女差別問題への対応を質問し、板垣市長は市民の相談窓口に労働基準監督官や弁護士の派遣を依頼して対応する旨回答した。
五十六年に山根泰子(共)は、国際婦人年以後の市の女性政策、特に職員・審議会・教育委員への女性登用、婦人問題意見交換会を労働婦人の参加しやすい夜間にも設定することなど質し、市長は「貴重な提言と受け止めたい」と応じた。市教育委員に会社社長秋山喜代が、女性として二三年ぶりに任命されたのは五年後である。
同年の婦人文化センター条例案の審議で菊田勝雄(共)は、同センターの民間委託は公共サービスの点から好ましくないと反対したが、市の提案どおり可決された。なおこの年六月、市議会は「婦人差別撤廃条約の早期批准に関する意見書」を全議員の名で可決して国に提出した(十五期小史)。
市の「女性計画」に関しては、飯坂宗子(共)が六十三年に男女平等教育資料の配付や活用について質し、翌平成元年には女性パート労働者の実態調査と対策に取り組むことを求めた。二年十月、勤労市民課は『パートタイマー雇用実態・就労意識に関する調査結果報告書』を作成した。同時に市議会も「育児休業法の早期制定を求める意見書」「パートタイマーの労働条件の改善を求める意見書」を国に提出した(十七期小史)。
平成五年に中嶋和子(ネ)は、初めて学校教育における男女混合名簿について見解を質した。特に昭和六十年の市教委学校教育部長の「男子は一番から、女子は四一番から」という出席簿の記入通知について問うた。藤島教育長は「日常の教育活動においては必ずしも出席簿の順番にこだわらず」と回答し、翌年通知は撤回、記入は学校裁量とされた(十八期小史)。北教組は学校内の「隠れたカリキュラム」として男子先行の男女別名簿を批判して平成三年に混合名簿実現を方針に掲げ、実施校は十二年に全道で七六三校、札幌市で三二校になった(北海道の教育 第36集、札教組女性部総会議案)。
この間市議会は、平成三年六月に「従軍慰安婦に対する公正な施策を求める意見書」、十二月に「ホームヘルパーの処遇向上に関する意見書」を国に提出した。
平成五年に井上ひさ子(共)は、市教委作成の「家庭教育パンフレット」が従来の性別役割分担意識にそって作られていることを批判した(十八期小史)が、八年に山口たか(ネ)は、介護保険の導入にあたってホームヘルパーはパートタイマーで充当することを想定するなど、市の福祉政策が性別役割分業観を前提としていると批判し、家事・介護などのアンペイドワーク(不払い労働)に対する市長の見解も質した。田中助役は従来市職員に「固定的な性別役割観を持つ傾向」があり、「意識改革が必要」と答弁した。
十年に加藤斉(民)は「女性への暴力」に関する市の姿勢を問い、佐々木周子(ネ)もこの問題に取り組んでいるNPOとの連携を質した。川口谷正(民)は男女共同参画社会基本法成立に伴う第二次女性計画の見直しを質した。
十一年に中嶋は、市職員で育児休業中の五八人全員が女性であることを指摘し、共働きの男性が制度を活用できるよう市が率先して取り組むべきと質した。大長助役は地方公務員男性の取得率が全国でまだ〇・一パーセントであり、意識の高揚、制度の周知に努めると述べた。
この間市議会では、平成九年三月に「実効ある男女雇用平等の法整備を求める意見書」が可決されたが、「労働基準法の女子保護規定撤廃の中止を求める意見書」は否決された(十九期小史)。