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保健衛生行政の変遷と基本目的

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 昭和四十年代後半の札幌は、その都市構造のなかで人口の中高年齢化に伴う成人病(平8年、生活習慣病に改称)や多発する交通事故、また、公害や環境汚染の広域化、さらに精神的緊張の増大による疾病の激増など、市民の健康を阻害する新たな問題が提起された。そこで、市ではこれらの問題を解決するため、環境衛生水準の確保や地域医療、伝染病予防、食品衛生の各対策に加えて、「老齢者」の健康管理や母子衛生、乳幼児の健全育成など、いずれも疾病や傷害の克服に加えて、予防面を主眼とする「明るく豊かな市民生活基盤づくり」を基本目的に据え、健康を積極的に増進することとした(概要 昭49)。
 四十七年(一九七二)、保健衛生行政の所管を厚生局におき、公衆衛生部と五保健所、衛生研究所によって構成したが、五十八年度になると、厚生局を新設の衛生局と民生局に分割し、さらに環境局から公害部を移し、人体への影響が懸念される車粉公害(第二節参照)に対しては環境衛生の立場から総合的に取り組むことになった。保健所は他の政令指定都市と同様に「一行政区一保健所」体制を採用し、北・豊平両区に保健所を開設、以降平成九年(一九九七)三月までは九保健所体制とした(表16)。間近に迫った本格的な高齢化社会に対応すべく、五十一年には「健康都市さっぽろ」のスローガンを定め、町内会等地区住民組織や一般市民を対象に五十六年から「健康づくり運動推進事業」を開始した。さらに、平成元年四月に健康増進課を新設し、第三次札幌市長期総合計画(昭63年度スタート)のなかに、長寿化する人生を生き生き暮らせるよう、市民の自発的な健康づくりの支援と全市的健康増進運動を推進するなど、積極的な健康増進を企図した。
表-16 保健衛生施設の開設状況
開設年施設名開設・改称経過等
昭23中央保健所23年政令市令により北海道から移管、8月26業務開始
 27西保健所7月10日業務開始
 33東保健所33年10月1日北保健所として開設、47年東保健所に改称
 36白石保健所36年4月1日東保健所として開設、47年白石保健所に改称
 37衛生研究所4月1日衛生試験所として開設、48年4月1日衛生研究所に改称
 44南保健所4月21日業務開始
 49北保健所1月1日業務開始
豊平保健所4月1日業務開始
平 1手稲保健所11月6日業務開始
厚別保健所11月6日業務開始
  9札幌市保健所4月1日 9保健所を統廃合し、業務開始

 保健衛生行政が大きく転換したのは、六年七月、国が地域保健対策の枠組みを抜本的に見直し、従来の「保健所法」(昭22施行)を「地域保健法」に改めたことである。札幌市も同法にもとづき、保健・福祉・医療との連携を強化し、従来の市民の健康づくりや伝染病予防などとともに、二一世紀を展望した衛生行政の諸策を推進することになった(概要 平8)。そして九年四月からは地域保健法の全面実施にもとづき、九保健所を統廃合し、食中毒や感染症などの対策は新設の札幌市保健所(中央区大通西一九丁目)の一機関に集約して一本化する一方、母子・精神・成人の訪問指導など住民サービス部門を強化し、それらを各区の保健センター(組織名は地域保健課)に移行する新地域保健体制を実施し、生活者の立場に立ったよりきめ細かな保健サービスの充実を図ることになった。九年十一月には清田区の新設に伴い、各区役所では一〇区の保健センターと各区福祉部を統合して保健福祉部を創設し、市民の保健と福祉関連の相談窓口を一本化し、さらに十年四月には本庁でも衛生局と民生局を統合し、保健福祉局として再編成されるにいたった。