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医療機関の札幌一極集中化

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 医療機関と医療従事者の札幌への一極集中化現象は、すでに昭和四十年代初期に始まっていたが(市史5上)、六十年代から平成期にかけては一層著しくなった。市内の医療施設は病院(病床数二〇床以上)、診療所(病床数二〇床未満)、歯科診療所ともに大幅に増加し、特に病院は六十一年(一九八六)から六十三年にかけて急増した。要因は六十年の医療法の改正により、六十三年四月には病院病床数が規制されることになったため、規制実施前の駆け込み増床が反映したためである。表24にみられるように、六十一年に病院一九四、病床数約三万四〇〇〇床となり、この時の病床数は前年比七・一パーセントも増加し、一一大都市別でも最高の増加率となった(道新 昭62・10・29、62・11・13)。六十三年に病院数はさらに増加し、特に一病院が一〇〇床以上を有する大・中規模化を遂げた。また、平成十二年末現在の病床数を、北海道が作成した地域医療計画に基づく必要数に対照すると、札幌圏は病床過剰地域となっている(札幌市保健所事業概要 平12年度)。
 一方、医院と呼ばれる一般診療所の増え方は、病院とは別な傾向を示した(表24)。診療所数は昭和四十七年から一貫して増え続け、平成十二年は一一九一になり、この約三〇年間で三〇〇も増加した。しかし、病床数は五十五年の四九〇二床をピークにして減少し続け、十二年には三六八七床となり、四十五年(三五四四床)のレベルに逆戻りした。六十三年以降多くの診療所が開設されたのは、経済的背景にはバブル経済の何らかの影響があり、また、診療所数は増えても、入院施設を持たない「医師一人」の無床診療所がこの時期に増えたことによる。実際に、十二年末の診療所一一九一のうち、無床は九五〇で七九パーセントを占めた。特に中央区は三〇一のうち九割近くの二六八が無床であり、オフィスビルの一室にサラリーマン向けの内科や耳鼻科、皮膚科、眼科などの単科診療所を開設したものがほとんどである。
    表-24 医療施設および医療従事者数各年末現在
年次病院一般診療所歯科診療所医師
(人)
歯科医師
(人)
薬剤師
(人)
看護婦
(人)
助産婦
(人)
准看護婦
(人)
施設数病床数施設数病床数施設数病床数
昭479316,9328094,0873852,0545369252,7032751,914
 519919,2588924,3204742,5247431,2203,4783332,484
 5513523,8289554,9025903,6891,0861,7705,0643963,208
 5917630,5771,0034,87966213,8181,1456486,2603184,417
 6119434,1631,0254,6317373,7711,1877456,9264334,879
 6323540,8821,0434,4478063,8471,2818797,8133655,798
平 423040,4211,0964,2609584,1111,5719779,2674126,528
  822739,9381,1393,8971,056144,5351,7151,07911,4694766,577
 1222139,4271,1913,6871,133154,8201,9191,06612,8655166,280
昭和47~63年は『市政概要』より作成、非常勤数を含む。平成8・12年は『札幌市衛生年報』より作成。

 また、この間に閉院した診療所も多く、北海道庁舎近くの日赤北海道支部札幌診療所(昭11・5・2開院)が経営難から六十年三月末に閉院し、同じく恩賜財団済生会札幌診療所(昭5・10・8開院、中央区南五東二)も、戦後日雇い労働者や母子寮の無料診療等を行って来たが、ビル群に変貌した同地区の人口減少のため経営難となり、平成七年一月に閉鎖した(日赤百年史、済生会七十年誌)。