難病は二、三〇〇種あるとされるが、政府の「難病対策要綱」(昭47・10)により、①原因が不明で治療法が未確立であり、後遺症を残すおそれのある疾病、②慢性化し、経済的・精神的にも負担の大きい疾病であると初めて定義づけられた。そのうえで、難病の解明と治療法は、全額公費負担制の「特定疾患調査研究」(昭47年度)事業を創設することで患者の医療費負担を軽減し、疾患別の研究班を開設、さらに医療施設の整備と要員の確保を三本柱とした(厚生省五十年史)。北海道では、昭和四十八年に発足した北海道特定疾患対策協議会(会長・金光正次札医大衛生学教授)が、国指定以外にも北海道独自の難病疾患種類の指定と公費負担の診査を行うことになった。同協議会にはオブザーバーとして、四十八年二月に患者会などが結成した北海道難病団体連絡協議会(以下、道難病連と略す)の代表者も参加し、社会的に孤立しがちな患者の意見を反映させることにした(なんれん 創刊号)。
難病の指定は当初、スモン、重症筋無力症など四疾患であったが、次第に拡大し六十二年度に二九疾患となり、神経・筋、血液、皮膚とほとんどの系統領域が網羅された。四十九年、北海道は難治性肝炎、慢性甲状腺の橋本病など七疾患を特定疾患に指定し医療費を独自補助することとした。当初難病専門病床の指定医療機関は北大・札医大、国立札幌西病院、道立結核アフターケアー(中央区宮ノ森)が血友病、リウマチなどの入院とアフターケアー、道立北野病院(清田区・昭46年道立札幌西療養所が新築移転し名称変更)はベーチェット病、サイコードーシスなどの研究治療に当たった。市立札幌病院は難病連主催の第一回集団無料検診(昭48・7)を行い、待ち望んでいた患者が道内から受診し、初めての精密検査により病名の有無が判明するなど、科学的対策の効果がみられた(なんれん 創刊号)。五十七年には神経内科系難病専門の北祐会神経内科病院(西区)が開院し、医師、医療ソーシャルワーカー、看護婦、理学療法士らのスタッフが揃い、治療とリハビリを集中して行い社会復帰を目指した(道新 昭57・5・14)。
また、北海道スモンの会や日本筋ジストロフィー友の会、リウマチ友の会など患者や家族会、医師・看護婦や支援者らが一同に集まり、四十八年三月二十四日に難病連結成大会を開催し、原因の究明と治療法の早期確立、患者と家族の生活と権利を守ることを基本目標とした。
その後、平成九年八月末までは難病事業主体は北海道であり、市保健所は医療受給、公費負担の申請事務手続きと医療相談業務を行ってきたが、「地域保健法」公布により、九年九月に国の難病対策が変更され、「地域に根ざした在宅療養支援」「難病患者の生活の質(QOL)の向上を目指した保健福祉施策の推進」が主要な課題となった。具体的には政令指定都市は地域における難病患者の自立と社会参加の促進を図ることを目的にした「難病患者等居宅生活支援事業」や、保健・医療・福祉の充実を目指した「難病患者地域支援対策推進事業」を行うことになり、市ではこれらの難病対策を検討するため、十二年七月、初の「札幌市難病患者実態調査」を行った。同報告書によると、四五疾患の特定疾患治療研究事業の対象者八二七二人のうち七割の患者・家族から回答が寄せられた。そのうち、患者の多い順ではパーキンソン病八四二人、潰瘍性大腸炎五九三人、全身性エリテマトーデス五七二人であり、女性が六割強を占め、年齢も四〇歳以上が七割強を占めていた。また、クローン病や原発性免疫不全症候群は若年層に多くみられ、「学校に病気のことを理解してもらうのが難しい」ことなどの悩みを訴えた。患者の生活上の不自由さや介護する家族の限界からくる公的介護の必要性など希望調査結果に基づき、市が実施した十三年の難病患者等居宅生活支援事業の利用者は二三人、そのうちホームヘルパー利用七人、短期入所利用者一人、日常生活用具給付五人、保健師面接一一四二人となった。また、十三年、難病理解のための市民向け講演会の開催や札幌市難病対策懇談会が設置され、道難病連と各団体代表者が参加して難病対策の方向性について市と意見交換が行われるなど、市レベルでの対策事業が開始された(札幌市難病患者実態調査報告書、なんれん NO.77、札幌市難病ガイドブック 平14年度版)。
札幌市の難病患者の推移は、五十二年度にベーチェット病一三人、難治性肝炎二七人など一六疾患合計一一六人であったものが、平成十一年度の国指定はパーキンソン病一二二一人、突発性血小板減少性紫斑病五〇七人など計四二疾患九〇六七人、ほかに北海道指定が難治性肝炎九二四〇人、シェーグレン症候群一三六八人、突発性難聴七九九人など一〇疾患計一万九三三七人であり、国・北海道指定を合計すると、五二疾患、患者数は二万八四〇四人にのぼった(札幌市衛生年報)。この二〇年間で疾患種類は四倍、患者数は二〇〇倍に増えた。背景には検査技術の進歩による病名の確定やさまざまなウイルス保持者の発症数の増加、社会的状勢としては札幌市内に高度医療機関が集中した現状があった。また、九年になると、それまで医療費が公費全額負担であった国指定三八疾患のうちに患者の一部負担が導入された。そのため、長期的な医療費の負担増加が生活に重くのしかかる患者も増えた。