ビューア該当ページ

君が代・日の丸の斉唱・掲揚

768 ~ 770 / 1053ページ
 平成元年版の指導要領の特徴の一つは、日の丸・君が代の掲揚・斉唱について「指導するものとする」と義務づけを行うなど、愛国心の育成を掲げたことである。市教委は、二年三月に、指導要領の移行措置に伴い、「強制は学校現場に混乱をもたらす恐れがある」として、義務化を指導しながらも当面は実施を強制しない方針を固めた。市教委はこの時点までに、北教組札幌支部との間で実施に関して職務命令を出さない、処分の対象としないなどの事項を確認して、各学校長に扱いを委ねていた。そのうえで「今の時点ですべての学校に一律に実施を強制すれば、混乱は避けられない。今春からの実施を指導していくが、現状では実施できないところが出てきてもやむを得ない」とした(道新 平2・3・30)。これに対して、四月四日、道教委は「教職員の理解のもとに適切に行われるように指導すること」という通知を各教育局、市町村教委に出した(道新 平2・4・5)。二年度の市内校入学式の君が代斉唱率は小学校で一〇・三パーセント、中学校では五・六パーセントと、各都道府県および政令指定都市の中で最も低かった。また日の丸掲揚率は小学校で八三・六パーセント、中学校で六二・九パーセントであった(道新 平3・7・25)。
 六年九月、日本教職員組合は定期大会を開催し、これまでの方針を大きく転換した。日本社会党村山富市委員長が総理大臣になるなどの政治・社会情勢が背景にあると考えられたが、「日の丸・君が代や主任制の反対闘争を棚上げし、学習指導要領や、初任者研修制度を容認し、職員会議は校長を中心に」という基本五項目の路線転換であった。北教組は基本部分の修正案を提出したが否決された(道新 平6・9・4)。
 十一年二月、広島県立高等学校校長が日の丸・君が代問題で自殺し、この事件を契機に政府は日の丸・君が代の法制化をめざし、十一年十月に「国旗・国歌法案」が可決された。市教委は法律の成立に伴い、市内の主要な教育文化施設や体育施設に対して日の丸を原則、毎日掲揚するよう指示した(道新 平11・10・16)。また学校現場については、可決直後の市議会決算特別委員会において本間英明学校教育部長が「今まで学習指導要領に基づき適正に扱ってきており、(国旗国歌法施行後も)これまでと変わらない。(掲揚や斉唱を)子供へも教師へも強制することはない」と述べた(道新 平11・10・16)。法案通過前の市内の公立小・中学校の十一年度入学式の日の丸掲揚率は、八八・九パーセントと六一・五パーセント、君が代斉唱率は二八・八パーセントと一一・五パーセントであった(市教委調べ)。法律施行後の十二年度入学式では、国歌斉唱率が小学校で四〇・九パーセント、中学校で一三・三パーセントと小学校で大きく増加した。さらに同年度卒業式では、九月に市教委が市立学校長に掲揚・斉唱を求める職務命令をだしたことから、国旗掲揚率・国歌斉唱率ともに小学校で一〇〇パーセント、中学校で九九パーセントとほぼすべての学校で掲揚・斉唱がなされるようになった(市教委調べ)。翌年度の卒業式にはともに一〇〇パーセントに達したが、「ステージ横に目立たない形で日の丸を立てたり、起立を求めずに君が代を流したりする学校」もみられた(道新 平13・3・18)。市教委が「校長と教職員が話し合い、双方が最大限に努力した結果」とする一方で、北教組札幌支部は「多くの教職員の反対の声を押し切って、校長が強引に実施した。現場に取り返しのつかない亀裂を生んだことを市教委は認識すべきだ」とした(道新 同上)。道内の公立高等学校では、十三年度卒業式において、二八〇校のうち全校で国旗が掲揚され、二七一校で国歌が斉唱され、市立高校は国旗掲揚・国歌斉唱ともに一〇〇パーセントであった(道新 平14・3・1)。
 また、これに関連して、十二年十二月の文部省の依頼によって、教職員の勤務実態や授業での国旗・国歌の指導状況について、道教委がすべての公立小・中・高校に対し、実態調査を指示した(道新 平13・2・8)。十三年第一回定例市議会において、「時間外勤務の実態や組合活動の実態、国旗・国歌の指導…など、明らかに思想チェック・踏み絵ともいえる内容であります。…この調査は…物言わぬおとなしい教員や従順な子どもを作ろうと考えているとしか思えませんが、いかがか伺います。また、これは思想調査にあたるとお考えにならないのか」という質問がでた。山恒雄教育長は「北海道の教育に関する実態や事実関係を把握し、必要な指導、助言等を行うことを目的としたものであり、充実したよりよい教育や活力ある学習の実現に資するものと考えて」いると答弁し、「質問のようなことにつながることはない」とした(平13一定会議録)。