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中学校生徒数のピークから生徒数減へ

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 昭和五十八年から六十三年にかけては、いわゆる「第二次ベビーブーム」世代が中学校に入学する時期にあたった。市においても生徒数のピークは六十二年であり、総計七万二二六九人、北区でも一万一五三人の生徒数であった。この時期に北区内の中学校も三校が開校した。六十二年三月開校の篠路西中学校新川西中学校(六十二年四月現在の中学校配置と通学区域は図2の③のとおり)、そして平成元年三月開校の上篠路中学校である。同年五月現在の北区の中学校数は一二で、学級数は特殊学級を除き二四二であった。
 その後、市内全体においても北区においても生徒数が減少しはじめた。しかし北区北部の篠路地域や屯田地域では減少しなかった。例えば篠路地域では、昭和六十一年に北海道教育大札幌校が移転してきたのに伴い発展してきたあいの里を中心に、人口が大きく増加したのである。篠路中学校では平成元年に篠路西中学校が分離し、学級数は一六になったものの、翌年には二〇、さらに二三、二六、二八と学級数が増え、六年には三一学級となった。同年度の札幌市内において学級数が多かった中学校は、清田中学校平岡中学校などの二七、厚別中学校の二八などであったが、それを超えて篠路中学校は市で一番の大きな学校だったのである。そのため、七年三月に、あいの里東中学校が開校した(十一年十一月現在の中学校配置と通学区域は図2の④のとおり)。母体校である篠路中学校からの新二・三年生四四五人を迎えてのことであった。その後もあいの里東中学校の学級数は増加した。七年度には七四七人一九学級であったものが、十一年度には九九五人二七学級となった。ようやく十三年度からは学級数が減少しはじめ、十六年度において二四学級である。また屯田地区の屯田中央中学校も、二年度から二四から二七学級で推移し、十六年度現在で二六学級である。屯田地区の児童・生徒数は今後もある程度維持されると考えられることから、市では十七年度に屯田北地区に小・中学校を新設することにしている。いずれも車いすに対応したトイレやエレベーターを設置するなどバリアフリーや環境に配慮した設計となる(道新 平16・5・1)。
 以上のように、北区の中学校は主に宅地化の拡大に伴い、北へ北へと増加してきたといえる。それはベビーブームなどの自然増とともに、流入人口の増加という社会増に対応したものだった。十五年度現在において北区の中学校数は一三校で生徒総数は七三五二人である。この数字は札幌市内全体の中学校生徒総数五万三五八人の約七分の一にあたる数字である。十五年四月現在で、札幌市内の公立の小・中学校数はそれぞれ二一一校、九九校である。