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完全給食への足取りと給食費

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 昭和四十七年、市内において小学校の完全給食が達成されたが、中学校は四九校中、完全給食を行っている学校は一〇校であり、牛乳とおかずのみの補食給食校が二校、そして牛乳のみのミルク給食が三七校であった。その後も、中学校の完全給食実施率はなかなか上昇しなかったが、五十五年度に三三・九パーセント、六十年度に六七・六パーセント、平成二年度に八六・五パーセントと上昇した。この時点でミルク給食のみの一二校の取り扱いが市議会で焦点となった。元年第二回定例会において、市側は父母の要望が高まっていることから、四年度までに完全給食を実施したいと答弁した。
 しかし計画は、小学校の給食に影響を与えるものだった。市ではこれまで自校で給食を調理する「単独方式」と調理施設のある学校からない学校へ給食を運搬する「親子方式」の学校給食を行っており、暫時、単独方式へ変える計画をもっていた。運搬などで、給食が冷たくなるなどの問題点があったからである。これらの計画は中学校の完全給食実現のために不可能となり、さらにこれまで単独校であった学校も子学校化する事態が考えられた。そのため北九条小学校や東橋小学校からは、二年十一月に単独校方式の存続を求める陳情・請願が市議会に提出された。一方単独方式の学校給食を求めていた手稲東・手稲西中学校や栄中学校は、早期完全給食実施のためには暫定的に親子方式もやむを得ないとして、陳情・請願の件名から「単独方式」を削除することとした。結局、小学校の単独方式の学校給食を縮小し、中学校の完全給食を行うとする議決が三年三月四日に採択された。昭和二十二年に始まった市内の学校給食は、四六年間かけて、平成五年度から小・中学校双方において完全給食がなされるようになった(十七期小史)。
 完全給食校での学校給食費は四十七年度には小学校低学年で年間一万四一八二円、高学年で年間一万四三四四円、中学校で一万八六九八円であった。この時期はいわゆる「狂乱物価」の時代であり、市では給食用物資の共同購入を図る目的で四十九年十二月十四日に札幌市学校給食会を設置し(道新 昭49・12・13)、翌年一月より事業が開始された。共同購入品目は食肉類・畜産加工品・鶏卵などの一六品目であった(平成十五年度には、一七〇品目となっている)。しかし、給食費の値上げは続いた。例えば五十五年度には小学校低学年で年間二万八六四八円、高学年で年間二万九四五〇円、中学校で三万五七二四円であった。さらに平成五年度には小学校で一年生~六年生で年間三万四四五〇円~三万七〇〇〇円、中学校で一年生~三年生で四万二五〇〇円~四万二五〇〇円であった。