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仲よし子ども館の設置

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 仲よし子ども館は、札幌独自のユニークな施設である。館の生みの親は原田與作市長で、孫娘が東京で「移動幼稚園」の園児として登録されたことを聞き、「幼稚園や保育所には市独自の…補助を出して民間経営に依存し、その足らざる部分は『青空幼稚園』で幾分でも幼児教育に役立てよう」と考えた(原田與作 自治体生活五十年)。
 仲よし子ども館は、昭和三十五年七月に誕生した。当初はわずか六カ所で、対象幼児は、満三歳から小学校就学始期に達するまでの四八〇名にしか過ぎなかった。その目的は、「健全な日常習慣を養い、身体の機能の調和発達を図」り、集団生活への参加、社会生活などへの理解と態度、童話や絵本を通じての言葉への興味、音楽、遊戯、絵画などによる表現への興味をもたせることであった。前期においては、遊具、教材、オルガンなどを積んだマイクロバスが指定された場所を巡回して指導し、後期は、児童館、公民館などでの室内指導を行った。子ども館はその後拡充し、四十七年段階では、一万九二〇〇人を対象とし、一一三名の指導員、一五台の巡回車をもって指導にあたることになった。子ども館は幼児教育を指向しつつ、あくまで社会福祉的な施設であった。入園料などは無料であり、活動も毎日のものではなかった。しかし幼児教育が振興していなかった時期の意味合いは大きい。