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保健体育審議会答申とスポーツ・フォー・オール

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 奇しくもオリンピックが開催された年、保健体育審議会は「体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について」という答申を出した(昭47・12・20)。
これまでの体育・スポーツは学校を中心に発達し、また、選手を中心とする高度なスポーツの振興に重点がおかれ、一般社会における体育・スポーツを振興するための諸条件は、必ずしも整備充実されるにいたらず、今や広く国民の要請に応じ得ない状況にある。/(中略)/具体的な方策としては、施設の整備充実、自発的なグループ活動の促進、指導者の養成ならびにこれにともなう資金の確保などがあげられる。/これらの基本方策を実施するにあたっては、到達すべき目標を明示し、これを段階的に実現する総合的な計画を策定することが必要である。
(文部省保健体育審議会答申 体育・スポーツの普及振興に関する基本方策について 序文より)

 本答申は「スポーツ振興法」(昭36)を受けた本格的な国のスポーツ政策であったと評価される。関春南は、その特徴として次の三点をあげている(関春南 戦後日本のスポーツ政策―その構造と展開)。第一に、チャンピオンスポーツの重視というよりは、市民スポーツの振興を中心課題としたことである。それは、従来のスポーツが学校・企業を基盤に発展する中で、歴史的に積み残されてきた課題であった。第二に、施設整備基準が、国・自治体の条件整備の責任を明確にしたことの結果としてだされたことである。関はその前提として、「体育・スポーツは、強健な心身の発達をうながし、人間性を豊かにするとともに、健康で文化的な生活を営む上できわめて重要な役割を果たすもの」(権利性)と「広く一般の人々の利用に供する公共施設を中核として整備すべき」(公共性)に着目している。基準策定にあたっては、「それぞれの市町村で約二〇パーセントにあたる人々が、少なくとも週一回、施設を利用してスポーツを行えるようにすることを基本」としていた。第三には、施設整備基準の提示が、達成率との関係で問題の所在を明らかにしたことである。
 すでに欧米諸国では、旧西ドイツにおける全国的スポーツ施設拡充政策である「ゴールデンプラン」、北欧での「トリム運動」等、いわゆる「スポーツ・フォー・オール」運動が開始されていた。また北米においても「フィットネス運動」の動きがみられるようになっていた。国際的にも、五十年にヨーロッパ・スポーツ閣僚会議が「ヨーロッパ・スポーツ・フォー・オール憲章」を、五十三年にはユネスコが「体育・スポーツ国際憲章」を採択し、国民的な健康、体力、スポーツ問題に注目が集まっていた。これらに呼応したのが保体審答申であったと考えられる。答申は、自発的なグループ活動の促進(クラブ化)や指導者養成、スポーツ行政機構の整備等、その射程は今日的課題をも捉えていたといえよう。ただし、「スポーツ振興法」同様、その財政的裏付けは乏しく、実際は地方財政事情によるところが大きかった。また答申が出された翌年、四十八年のオイルショックは、答申実現を困難なものにさせた。