オリンピックを契機とする都市化の進展は、新たな地域づくり(コミュニティ形成)という課題を浮上させた。体育・スポーツでは、「余暇の増大、生活環境の中での運動不足、都市化によるコミュニケーションの欠如などにより、あらためてスポーツのもつ重要性が認識され」てきていた(札幌市の教育 昭52)。こうしたなか、五十一年、年頭の挨拶で板垣市長は、新たなコミュニティ形成への手だてとして、地域での健康づくりを提唱する。同年は山鼻屯田開基百年の年であり、その「札幌精神」に立ち返りながら、次のように語ったとされる。
「同時に、この厳しい年をのり越え、未来への展望を開くのは何といっても個々人の健康であります。今年こそ、市民総健康を願い、与えられた休日はできるだけ有効に活用、戸外で大いにスポーツに親しむ習慣をうえつけ、健康都市札幌を、百二十四万人の市民の皆様共々に築きあげたいものだと考えております。」
(新年互礼会挨拶 市長挨拶文)
これを受け、市教委は「健康都市さっぽろ」をスローガンに市民の健康づくり運動を開始した。その内容は、トリムコーナー、歩くスキーのモデルコース設置、新規分の学校開放をコミュニティセンターと位置づけ住民による自主管理を行うこと、また市内スポーツマップを作成して市民に健康づくりを呼びかけることであった(道新 昭51・1・6)。これらを推進するためのシンボルマーク(汗かき坊や)も決められた(図9)。そして市の社会体育事業は、「誰でも、いつでも、どこでも、気軽にスポーツに親しめるよう『体育施設の充実・整備』『楽しいスポーツ行事』『地域スポーツグループの育成援助』『指導者の育成』を行い、日常生活の中に体育・スポーツが定着し、これを楽しむことができる諸条件の整備」へと向かっていった。
図-9 「健康都市さっぽろ」のシンボルマーク(汗かき坊や)
すでに市は市民の健康づくり事業として「市民歩く運動」(昭44年度より)、「市民歩くスキー運動」(昭48年度より)、「オリエンテーリングスポーツ」、「高齢者スポーツ教室」(いずれも昭50年度より)等を実施していたが、「健康都市さっぽろ」を機に、完走することをねらいとした「市民マラソン大会」(一〇キロメートル、二〇キロメートル)を開始した。また日常的な活動として「おはようマラソン」も提唱された。ここでは、体育指導委員などが世話役となり、地域ごとにグループ化が図られた(昭52年時点で三〇グループ)。市教委は「主催者は、あなたです」と書かれた「おはようマラソン・カード」を発行し(友穆(ゆうぼく) 第二九号 昭51・6・25)、真駒内公園内では「おはようマラソンの集い」も開催した。