冬季オリンピックから三〇年、市のスポーツ環境は大きく変わっていった。昭和五十年代は、「健康都市さっぽろ」に端を発する市民の健康体力づくり運動の展開、また地域組織としての体育振興会の設立など、市民の福祉向上とその中でのスポーツ振興が進められた。同時に、区体育館・温水プールの建設、また都市公園、緑地整備の際にはテニスコートや野球場、運動公園の併設も行われた。市民スポーツは「コミュニティ」や「福祉と緑」といった輪郭の中で展開したといってよい。五十年代後半から六十年代に入ると、「民間活力」が市民スポーツの領域に登場する。この時期、全国的にも商業スポーツ施設が急増した。例えば六十年の商業スポーツ施設数は、五十五年の二・四倍となっている(文部省「我が国のスポーツ施設」平10)。またリゾートブームにより、道内におけるスキー・ゴルフ観光も活況を帯びた。
平成に入ると、市民にとってのスポーツも自ら行うだけではなくなった。「コンサドーレ札幌」やプロ野球公式戦のように「みるスポーツ」の機会も増大した。都市化と人口増大による、大規模スポーツ施設の市への集中はその前提をなしたといえる。マラソン、スキージャンプ等、国際的、全国的スポーツイベントも定期的に行われるようになった。
都市化による生活環境やライフスタイルも大きく変わり、スポーツ種目も多様化した。ゲートボールやパークゴルフ、スノーボード等のニュースポーツも盛んになった。また平成十三年からは「札幌市障がい者スポーツ大会」が開催されるなど、まさにスポーツは全ての市民にとって生活の一部となっている。スポーツは、教育だけにとどまらず、福祉、産業、観光等との重なりを多く持つようになり、札幌らしい新たなスポーツ文化創造の段階を迎えている。十四年度からは、スポーツ行政も市教委から離れ、市民局スポーツ部へと改組され、新たなスタートが切られた。