小笠原克、高野斗志美、亀井秀雄、森山軍治郎、鷲田小彌太らを輩出し、「評論大国と言われた北海道」(道新 平3・12・16夕、神谷忠孝「一九九一年道内文学」)であるが、札幌はその発信地の一つを担ってきた。中でも『北方文芸』初代編集人であった小笠原克は支柱的存在であり、さまざまな場を提供し、牽引した。
五十六年一月十七日、小笠原克を中心に、自治労会館で李恢成の講演「日韓問題と文学者の立場」が行われた。それを機に同年五月、李恢成文芸講演会・その後の会編『札幌からの発言』も創刊された(平成十二年、八号で終刊)。作家・井上光晴を編集代表とする季刊文芸誌『兄弟』創刊を支えたのも、小笠原克であり、平成元年三月に東京の影書房より創刊号が出た。創刊号の特集〈樺太=サハリン〉は、日本によって遺棄され翻弄され続けた朝鮮人の存在を注視するものであり、先の李恢成の講演と連続するテーマとして注目を集めたが、同年十月刊行の二号で事実上終刊となった。
『北方文芸』では、同人誌評の「風見鶏(かざみどり)」欄をはじめ、北村巌、妹尾雄太郎、谷口孝男らが評論を寄稿した。五十一年創刊の季刊『詩と創作 黎』も評論活動に特色がある。同人に沖典代(沖藤典子)、熊谷政江(藤堂志津子)らもいたが、編集人の有土健介(のち本名の谷口孝男)が二葉亭四迷論から中島みゆき論、谷川雁(がん)論等、幅広い評論活動を展開した。また、経済評論家・小林睦夫が、六年秋号から「同人誌文芸季評」をスタート(以前は「エコー・ポスト・ジャンボ」名で不定期寄稿)し、道内同人誌をきめ細かに批評している。十五年の一〇二号は、十四年末に死去した発行人・いのうえひょう(井上彪)の追悼号であった。
詩論でも活躍する詩人には、作家論『田村隆一』や『声の在り処―反=朗読論の試み』等を著した笠井嗣夫や、『ロシア・詩的言語の未来を読む』で五年に北海道新聞文学賞を受賞した工藤正廣らがいる。
短歌では、二十九年に「短歌研究」第一回新人評論入賞でデビュー以来、現代短歌批評を担い続けている菱川善夫や、「現代短歌・北の会」の細井剛、六十一年に短歌研究誌『炎(ほむら)』を発刊し、『坪野哲久論』を上梓した山本司らがいる。
児童文学では、全国でも数少ない評論専門誌『児童文学評論』(旭川・三十三~四十九年)の終刊後、研究評論誌の登場が渇望されていたが、平成五年に谷暎子、鈴木喜三夫、柴村紀代らが北海道子どもの文化研究同人誌『ヘカッチ』を創刊し、十五年までに八号が出ている。