合唱活動が活発に続けられていく中にあっても、社会や経済の変動に伴って、その様子には変化が起こっていった。戦後間もないころの活動をリードした職場の合唱団が大きく退き、代わって「おかあさんコーラス」が勢いを増していったのである。
一般の団体では、伝統のある響友会(指揮:池本透)、新たに活動を始めた札幌アカデミー合唱団(永井征男)、札幌コダーイ室内合唱団(中村隆夫)、札幌女声合唱団(大畑耕一)、札幌メールクワイア(上元芳男)、サッポロインターナショナルアンサンブル(大嶋恵人)などが活発に演奏活動を行った。札幌放送合唱団は、NHKの合理化で部外団体への助成打切りが全国的に行われていくなか、解散は免(まぬが)れたものの放送出演は激減し、放送以外の演奏活動を増やしていった。
全日本合唱コンクールでは、札幌大谷短期大学輪声会が金賞受賞団体の常連となった。輪声会は、音楽科に限らず全学の愛好者を集めた団体である。その活躍は宍戸悟郎に率いられてのもので、則竹正人(のりたけまさと)も指導に当たっている。同コンクールでは平成三年に中学校部門が創設され、北野台中学校と手稲東中学校が金賞の常連となって、レベルの高さを全国に示した。
この時期に札幌で開かれた全国大会としては、昭和六十三年の第二回少年少女合唱祭全国大会と第一一回おかあさんコーラス全国大会、平成二年の第四三回全日本合唱コンクール全国大会がある。いずれも会場は北海道厚生年金会館であった。
札幌合唱連盟の節目を彩(いろど)る演奏会としては、三〇周年記念として昭和五十五年に札幌市民会館で開いた「ブラームスの夕べ」、四〇周年記念として平成三年に市民会館で開いたハイドンのオラトリオ「四季」の演奏会がある。このほかにも、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団とのモーツァルト「レクイエム」(昭和六十三年十二月、道厚生年金会館)、マーラー「交響曲第八番〝千人の交響曲〟」(平成二年三月、同)など、外部からの依頼を受けての演奏会に大編成で出演する機会も多い。