それまでの演劇公演のほとんどは、劇団単独か、複数の劇団が作品を出し合う交流公演、共に一つの作品を創る合同公演だったが、北海道にも個人や団体が制作するプロデュース公演が生まれ始めた。アメリカのブロードウェーが発祥地であるプロデューサー・システム(プロデューサーが作品選び、スタッフ・キャスト決定、収支すべての責任を持つ上演形態)は、演劇ばかりでなく映画・音楽・テレビ・出版などにも使われている。
昭和五十二年にオープンした教育文化会館の小ホール(大ホールは五十八年)は、当初、貸館だけで料金も高く時間の制約も多かった。それまで公立劇場は客席一五九二の市民会館しかなく、客席三六〇の小ホールは芝居に理想的と演劇関係者からおおいに期待されていただけに、その問題は論議をよび改善への要求が出された。
その一方で、教育文化会館(市教育文化財団)では、演劇関係の二つの自主企画を五十八年から実現させた。札幌の冬の名物「雪まつり」に開催の芸術劇場演劇の夕べと、人形劇フェスティバル冬の祭典である。ただ形式はプロデュース公演だが、会場・物件費や広報を負担するだけなので、正確には教文+関係団体の合同公演といえよう。
演劇の夕べは高校演劇合同の『蝶をめぐる2つの物語』、一般向けの『只今閣下ご到着』をかわきりに、平成五年の『岬を駆ける女』まで毎年、計一三作品が上演された。昭和六十一年からその中心となった道演集札幌ブロックの四劇団(新劇場・にれ・ペルソナ・シアターⅡ)の功績は大きい。また冬の祭典は最初、札人協加盟の母親・学生・社会人による交流公演から始まり、次第に合同公演へ移行していく。特に第一〇回『オズのまほうつかい』、一五回『セロ弾きのゴーシュ』、二〇回『十二の月たち』の記念公演には力が入った。六十三年、こどもの劇場やまびこ座が出来てからは、教文と両者のプロデュースという趣が強い。