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札幌芸術の森

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 昭和六十一年にオープンした札幌芸術の森は、札幌青年会議所が五十二年三月に、市へアートパーク構想を提言したことが契機となり、二一世紀へ向けた芸術文化都市のシンボルとして推進されていった。札幌市では五十六年五月より開設へ向けての調査を開始し、五十七年に自然の残る南区常盤の丘陵地を場所に選定した。そして五十八年三月に基本構想を策定して用地買収に入り、五十九年二月に基本計画の策定、札幌芸術村建設企画委員会の設立などを経て、五十九年度から第一期(昭59~62)、第二期(昭63~平3)、第三期(平4~10)、以上の三期一五年の建設計画が立てられ、六十年六月二十四日に着工した。名称も同年七月に、公募七一二件の中から「札幌芸術の森」と決定し、管理運営主体となる財団法人札幌芸術の森が、六十一年四月一日に設立されていた。

写真-7 札幌芸術の森

 第一期は野外美術館、芸術の森センター、工芸館、ガラス・陶工房、アートホールの建設、有島武郎邸の移築などであったが、六十一年七月二十六日にオープン式をあげるに至った(翌日より一般公開)。その後、六十二年にアートホール、木工房、アトリエハウスが完成し、六十三年から第二期計画に入り、平成二年には六月二十六日に野外ステージがオープンし、この年に始まったPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)に使用され、七月二十八日に野外美術館(第二期分)、九月二十九日に芸術の森美術館が開館した。後者の開館記念にはロダン展が開催され、五万人もの入場者をみていた。平成四年からの第三期計画によりアートホールの増築、クラフト工房の建設などがなされ、十一年七月に全面オープンをみている。昭和五十九年度からの総事業費は約一四二億円であった(札幌芸術の森10年のあゆみ 平8)。
 札幌芸術の森は総面積四〇ヘクタールという広大な敷地に諸施設が配置されており、中でも七・五ヘクタールの敷地に七四点の彫刻が点在する野外美術館は、全国に類を見ない特徴あるものであった。諸施設もよく利用されており、平成十三年七月に総入園者数が四〇〇万人を超えていた。芸術の森には国立芸術大学の誘致も当初より計画されており、五十五年六月に国立札幌芸術大学誘致期成会が発足していたが実現せず、かわりに市では平成三年四月に市立高等専門学校を開学させていた(第八章第三節参照)。