ビューア該当ページ

時計台・豊平館

964 ~ 965 / 1053ページ
 札幌市では昭和四十九年に時計台が老朽化したことにより文化庁へ改修を要請していたが、五十一年七月に修復工事に入り、外部の工事と内部の改装がなされ、二階部分に農学校と時計台、札幌の歴史の展示コーナーが設けられ、同年十二月十八日に札幌歴史館としてオープンしていた。続いて一階部分も五十三年一月二十五日にオープンしている。
 時計台を愛する市民によって五十年六月五日に、時計台をまもる市民の会が設立されていた。同会の目的は「重要文化財である時計台の環境並に施設の整備改善とその効果的活用をはかる」こと(会則第三条)、活動は「時計台を愛護する世論を喚起する」「管理者その他に意見を具申、又は要望する」こととされ、その趣旨に沿った多様な活動を行い、五十七年より時計台まつりを実施していた。ただこの時期、北側に高層ビルの建設が明らかとなり、市では五十一年一月に風圧などから建物を守る要望が建設会社へなされていた。
 時計台は五十三年に創建一〇〇年を迎え、時計台創建百年記念式典が十月十六日になされ、村井満寿(ます)による「時計台の鐘」の独唱、昭和八年以来、時計台の世話を続けた時計師井上清への表彰が行われていた。
 時計台の保存場所をめぐる議論は従来からもしばしば起きていたが、平成四年二月に桂信雄市長が問題提起し、再び大きな市民論議となった。この場所論争も大勢は現地保存が占め、市も五年六月十一日に市議会総務委員会にて「現地保存」を正式表明し終息をみた。
 時計台は七年より大規模な修復工事に入り、十年十月一日に新装オープンする。
 豊平館でも昭和五十五年十一月三日に百年記念式が行われ、五十七年から五十九年まで大規模な修復工事に入っていた。修復工事は文化財建造物保存技術協会のもとでなされ、報告書も出されているし、一六ミリフィルムの映画にも記録化されていた。この工事では窓枠の彩色も、創建当初のウルトラマリンブルーに復元され、シャンデリア、じゅうたん、カーテンなども復元されていた。六十一年八月五日に修復工事完成記念式が開かれ、公開されるにいたる。