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建造物の保存

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 札幌には明治期の洋風の木造、レンガ、軟石などの建造物や和洋折衷の建物が独特の街並み景観をつくっていた。しかし、昭和四十年代以降、解体・消失に迫られる建造物が相次いでいた。たとえば札幌高等裁判所(旧控訴院)は、軟石造りで大正十五年に建設されたものであるが、国と市では昭和四十五年一月に、大通一三丁目の裁判所敷地と同一二丁目の旧大通小学校の敷地とを交換したけれども、建物は解体する条件となっていた。しかし、北海道文化財保護協会などの陳情を受け、貴重な控訴院の遺構として市では四十七年に保存を決定し、オリンピック・文学資料などを展示した市資料館として四十八年十一月三日にオープンし、建物は守られることになった。
 解体をまぬがれ北海道開拓の村へ移設・保存となったものもある。たとえば旧開拓使工業局庁舎は、明治十年の建設で大通東二丁目に所在していたが、昭和四十四年五月に解体工事に入った直後に保存措置がとられたものであった。開拓の村には、市内の一九の建物が移設・復元されている(第二節参照)。有島武郎邸は北二八条東三丁目に所在し、北大大学院の院生寮として五十八年三月まで使用されるも、寮の廃止により解体を予定されていた。解体を惜しむ市民、有志によって「旧有島武郎邸を保存する会」が結成され、その運動の結果、札幌芸術の森へ移設して保存されることになった。白石区菊水に所在したもう一つの有島邸の方は、北海道開拓の村で保存されている。

写真-13 ふたつの有島邸。上は札幌芸術の森、下は北海道開拓の村に所在。

 一方、惜しまれつつ消えていった建物も多くある。四十七年に札幌国税局庁舎(大通西七、明34建設)、四十八年にグランドホテル旧館(北一西四、昭9)、札幌地方裁判所(大通西一三、明45)、四十九年に札幌高等検察庁検事長宿舎(南二西一二、大11)、五十三年に帝国繊維会社のレンガ倉庫(北七東一、明22)、五十四年に北一条教会(北一西六、昭2)などがそうであった。札幌市では市内の文化遺産の継承を目的に、昭和六十三年に「さっぽろ・ふるさと百選」を制定し、この中には四六件の建造物が選定されていた。しかし、現在まで九件が解体されている。歴史的建物の保存に取り組む、札幌建築鑑賞会(平成三年に発足)のような活動が、近年、市民の間からみられるようになってきている。