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郷土資料館

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 上記した新琴似屯田兵中隊本部、旧黒岩家住宅(簾舞郷土資料館)などは地区の郷土資料館の役割を果たしているが、市内には地元住民の熱心な運動・要望もあって、郷土資料館が開設されているところが多い。郷土資料館は地区の開拓・発展の跡の展示、史資料の収集と保存、コミュニティづくり、開基記念事業など多種の目的で設置され、現在まで運営されてきている。以下、主な館の設置経過を述べることにする。
 手稲記念館(西区西町南二一)は、「手稲町は四十一年度予算で郷土館を建設、郷土資料を整備、展示して町民の開発精神を高める計画」とあるように(道新 昭40・12・24)、手稲町にて郷土館建設の予定をたてていた。ところが、札幌市との合併にいたり、建設は合併条件とされることになっていた。そのために札幌市によって昭和四十四年に、地区集会所を兼ねた施設として建設され、農機具、文書資料など七一五点が展示されて、十二月十四日にオープンしていた(道新 昭44・12・7)。
 札幌村郷土記念館(東区北一三東一六)は、元の札幌村役場庁舎が五十年に解体され、その跡地利用について地元より郷土記念館の希望があり、五十一年五月に札幌村郷土記念館建設期成会も結成されていた。建設につき岩田徳治からの寄付金もあり、市では建設に着手し五十二年四月十日に開館していた。管理は同館保存会へ委託され、二七〇〇点余りの展示資料も保存会が収集したものであった。同館敷地はイシカリ御手作場の役宅が所在したところでもあり、既述のように市史跡にも指定されている。
 つきさっぷ郷土資料館(豊平区月寒東二―二)は、北部軍司令官の司令官舎として昭和十五年に建設され、戦後は北海道大学の学生寮となっていたものを利用したものである。この月寒寮は五十八年三月に廃止となったが、廃止前より地元の町内会連合会では、建物の保存と資料館への利用を市にはたらきかけていた。国より市が払い下げを受け、補修・整備を行い、陸軍歩兵第二十五連隊や郷土資料を展示する郷土資料館として、六十年八月に開館していた。資料の収集活動には、月寒史料保存会があたっていた。
 以下の各館は、開基一〇〇年記念事業として開設されたものである。篠路烈々布郷土資料館(北区百合が原一一)は、五十七年十一月に烈々布会館の二階に設けられ、丘珠獅子舞、篠路歌舞伎の資料などを展示している。あしりべつ郷土館(清田区清田一―二)は、四十七年に郷土館建設期成会が発足し、五十年に記念事業として設置が計画され、旧清田出張所(清田一―四)を改修して五十八年五月八日に、清田地区郷土館として開館していた(六十三年にあしりべつ郷土館に改称)。旧館が老朽化のために、現在地へ新館を建築して平成四年に移転している。屯田郷土資料館(北区屯田五―六)は、屯田地区センターに併設して六十三年十一月二日に開設され、篠路兵村関係資料などの展示の他に、屯田兵屋が復元されている。これは屯田六条一丁目に所在した、屯田兵屋九六番を移設・復元したものであった。福住開拓記念館(豊平区福住一―四)も、四十六年に開基百年を記念して開設したのが最初であったが、五十六年に増築して展示を充実させ、平成九年に地区会館に併設となっている。
 平岸郷土資料館(豊平区平岸三―九)は、展示施設としては古く、昭和四十年に月寒公民館平岸分館内に郷土資料室として開設された時にさかのぼる。五十四年に平岸小学校内に移設されたが、開基一一〇年を記念して五十七年十一月に平岸児童会館内に併設されていた。