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神輿渡御

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 神輿渡御の行列編成は、表2のようになっていた(北海道神宮例祭 札幌まつり)。65以下は「列外隊」となり、合計で七四六人に及んでいた。この後に山車行列が続くのであるから、総勢で一二〇〇人から一三〇〇人に及ぶ大行列となる。
表-2 神輿渡御行列順と人員数
職係名人員
1先導車正副渡御部長3
2万灯金棒笛太鼓21
3年番区長旗白丁11
4敬神講社旗陣羽織旗手11
5講長車講長・副講長6
6各祭典区代表委員狩衣109
7祈請講旗陣羽織旗手11
8一日講社旗陣羽織旗手11
9佼祗講旗陣羽織旗手11
10むすび会旗旗手1・狩衣34
11勤王隊隊名旗兵士33
12勤王隊楽士隊鼓笛(兵士30)・水持2(白丁2)32
13錦旗兵士33
14日月象旛兵士66
15大隊旗・小隊旗兵士55
16勤王隊長・司令胡床3・白丁36
17勤王隊銃士隊兵士1212
18先祓浄衣22
19社名旗白丁11
20猿田彦胡床持1・白丁12
21先乗童子人力車12
22稚児車2台付添21・運転手他445
23弓矢白丁22
24大錦旗2白丁66
25太鼓伶人8・白丁210
26大真榊2白丁8・手替412
27四神旗2 青龍・白虎雑色22
28神職1朱傘1・白丁12
29神名旗 明治天皇白丁11
30御楯2雑色22
31比礼鉾2雑色22
32紫翳2退紅22
33第四鳳輦輿丁・佼祗講25・青衣227
34菅翳2退紅22
35神職1朱傘1・白丁12
36神名旗 小彦名神白丁11
37御楯2雑色22
38比礼鉾2雑色2
39紫翳2退紅22
40第三鳳輦輿丁開・実行委25・青衣227
41菅翳2退紅22
42神職1朱傘1・白丁12
43神名旗 大那牟遅神白丁11
44御楯2雑色22
45比礼鉾2雑色22
46紫翳2退紅22
47第二鳳輦輿丁札幌商協25・青衣227
48菅翳2退紅12
49神職1朱傘1・白丁12
50神名旗 大国魂神白丁11
51御楯2雑色22
52比礼鉾2雑色22
53紫翳2退紅22
54第一鳳輦輿丁丸果札幌25・青衣227
55菅翳2退紅22
56錦蓋白丁44
57菅蓋白丁44
58四神旗 朱雀・玄武雑色22
59宮司車4
60責任役員車2台6
61伝令長車2
62各祭典区旗陣羽織3131
63供奉委員年番裃20・祭典区裃150170
64一日講社5
小計679
列外隊係名 
65警備係交通係12
66伝令青衣講4
67賽物係青衣8・白丁1624
68連絡12
69賽物車4
70救護車3
71輸送車4
72清掃車3
73工匠鑑1
小計67
総計746
北海道神宮例祭札幌まつり』(北海道神宮、平4)。

 敬神講社は北海道神宮への奉賛組織であるが、市域を分割した祭典区があり(現在三一祭典区)、毎年、当番にあたる年番の祭典区が決められており、年番区が神輿渡御の中心的役割をになうシステムとなっている。年番区には渡御部が設けられ、ここに渡御、万灯、勤王隊、稚児(ちご)などの係が置かれていた(『札幌まつりの今昔』)。1の先導車に乗るのはこの渡御部長らである。2万灯は金棒八人の女性と笛・太鼓一三人のお囃子(はやし)隊である。
 7~10は、神宮内の奉賛・信徒組織である。7祈請講は明治四十二年(一九〇九)に、新年厄払い祈祷を目的に創設された祈請会を昭和二十一年(一九四六)に改組したもので、8一日講社は頓宮の信徒を中心に昭和二年に結成されていた。9佼義講は昭和五十三年九月十七日に結成され、旧交誼講を再発足させたものである。交誼講は戦前期、西野に所在した小作地住民より成る札幌神社組合交誼会をもとに結成されていた。10むすび会は、二十六年に結成された信徒組織である。それから隊旗の後に勤王隊が続くことになるが、勤王隊は11~17の六〇人で編成され、鼓笛・太鼓などの楽隊は12である。演奏継承のための勤王隊保存会も、昭和三十九年十一月一日に結成されていた。
 札幌まつり振興会も六十二年四月三十日に設立され、協賛金の募集と渡御行列の経費、年番区・山車連合会への助成などが目的にされていた。