ビューア該当ページ

山車行列と露店

983 ~ 984 / 1053ページ
 昭和四十年にトラックによる神輿渡御と分離した山車行列は、同年の場合、十五日に五台の山車が勤王隊、万灯を先頭に市内を巡行し、十六日は各祭典区の練り歩きとなった。最盛期には一二台もあった山車の数も減り、この頃は山車行列にかげりがみえた時期でもあった。十五日の山車行列、十六日の神輿渡御という分離方式はしばらく続いたが、五十九年に再び合体して盛り上がりのある行列絵巻が展開されるようになった。
 山車の数は四十九年に第一六桑園祭典区の桃太郎が再び出展され六台となり、同年二月には札幌山車保存会も結成されていた。五十四年に第三山鼻祭典区の島義勇が登場して七台、平成八年(一九九六)に第一本府祭典区の日本武尊(やまとたけるのみこと)が二五年ぶりに復活して八台となっていた。本府祭典区にはかつて①牛若丸と弁慶、②加藤清正、③日本武尊の三台をもつも、①は焼失、②は第八豊平祭典区へ譲渡、③も他都市の神社へ預けられていた。だが、「伝統の山車の復活を願う本府祭典区の人たちが平成六年三月に引き取り、約二年をかけて修復した」という(タイムス 平8・6・13)。現在運行されている山車は、表3のとおりである(平成九年度北海道神宮例祭 札幌まつり 年番第三山鼻祭典区 平9)。
表-3 現在の山車
祭典区名建造年山車人形
1第1本府明治末期、平成8年改修復銘日本武尊
2第3山鼻昭和54年島 義勇
3第4豊水大正7年、平成7年改修復銘須佐之男命
4第6西創成明治末期、人形は明治35年銘須佐之男命
5第7東大正2年神武天皇
6第8豊平大正1年加藤清正
7第9東北明治43年改修銘猿田彦命
8第16桑園昭和4年桃太郎
『平成九年度北海道神宮例祭札幌まつり』(年番 第3山鼻祭典区 平9)。

 もう一つのまつり人気の露店は、三十七年から創成川沿いより中島公園へ移転していた。前年にサーカス小屋から出火し、逃げ出した象による人身事故が起きたことが原因で、広い敷地場所が求められたからである。公園内に見せ物小屋や八〇〇店ほどの露店が立ち並び、多くの人出があった。平成三年に、「暴力団排除による規制で、前年より二百八十四店少ない、四百九十八店が『暴力追放』と書かれた赤いのぼりを店先に出して、祭り客を迎えている」と報道されているように(タイムス 平3・6・14)、出店規制がなされるようになり、これ以来、四百数十店ほどが例年の出店数となっている。
 札幌まつり期間中の人出は毎年、数十万人となっており、このところ会期が近接したYOSAKOIソーラン祭りに人気は押され気味であるが、市民の憩いのまつりとしての札幌まつりの役割はいまだに大きい。