山車の数は四十九年に第一六桑園祭典区の桃太郎が再び出展され六台となり、同年二月には札幌山車保存会も結成されていた。五十四年に第三山鼻祭典区の島義勇が登場して七台、平成八年(一九九六)に第一本府祭典区の日本武尊(やまとたけるのみこと)が二五年ぶりに復活して八台となっていた。本府祭典区にはかつて①牛若丸と弁慶、②加藤清正、③日本武尊の三台をもつも、①は焼失、②は第八豊平祭典区へ譲渡、③も他都市の神社へ預けられていた。だが、「伝統の山車の復活を願う本府祭典区の人たちが平成六年三月に引き取り、約二年をかけて修復した」という(タイムス 平8・6・13)。現在運行されている山車は、表3のとおりである(平成九年度北海道神宮例祭 札幌まつり 年番第三山鼻祭典区 平9)。
表-3 現在の山車 |
祭典区名 | 建造年 | 山車人形 | |
1 | 第1本府 | 明治末期、平成8年改修復銘 | 日本武尊 |
2 | 第3山鼻 | 昭和54年 | 島 義勇 |
3 | 第4豊水 | 大正7年、平成7年改修復銘 | 須佐之男命 |
4 | 第6西創成 | 明治末期、人形は明治35年銘 | 須佐之男命 |
5 | 第7東 | 大正2年 | 神武天皇 |
6 | 第8豊平 | 大正1年 | 加藤清正 |
7 | 第9東北 | 明治43年改修銘 | 猿田彦命 |
8 | 第16桑園 | 昭和4年 | 桃太郎 |
『平成九年度北海道神宮例祭札幌まつり』(年番 第3山鼻祭典区 平9)。 |
もう一つのまつり人気の露店は、三十七年から創成川沿いより中島公園へ移転していた。前年にサーカス小屋から出火し、逃げ出した象による人身事故が起きたことが原因で、広い敷地場所が求められたからである。公園内に見せ物小屋や八〇〇店ほどの露店が立ち並び、多くの人出があった。平成三年に、「暴力団排除による規制で、前年より二百八十四店少ない、四百九十八店が『暴力追放』と書かれた赤いのぼりを店先に出して、祭り客を迎えている」と報道されているように(タイムス 平3・6・14)、出店規制がなされるようになり、これ以来、四百数十店ほどが例年の出店数となっている。
札幌まつり期間中の人出は毎年、数十万人となっており、このところ会期が近接したYOSAKOIソーラン祭りに人気は押され気味であるが、市民の憩いのまつりとしての札幌まつりの役割はいまだに大きい。