ビューア該当ページ

カトリックの改革と教会一致運動

997 ~ 999 / 1053ページ
 市史5上第十章で触れたとおり、一九六〇年代後半(昭和四十~)以降、カトリック教会は、第二バチカン公会議が決定した方針を札幌でも実行した。そこでは、ミサ典礼の改革も行われ、信徒の典礼参加が推進された。例えば司祭が会衆に背を向けて執行していたミサを、会衆に向かって行うようになった。北一条教会では、昭和四十一年からこれに改め、ラテン語から日本語に改められたミサ式文は、正式に四十三年から採用された。教会運営では信徒の役割が重視され、宣教の主体として積極的に位置づけられた。四十七年(一九七二)を第一回と数える信徒使徒職大会を開催してきた札幌地区信徒使徒職協議会は、さらに平成八年(一九九六)、信徒、修道者、司祭三者で構成する札幌地区宣教司牧評議会に吸収され、発展的に解消した。
 またバチカン公会議が打ち出した方策の一つに、プロテスタント諸教派などとの教会一致を目指す運動(エキュメニズム)があり、プロテスタントとの交流が本格化した。その一例に、カトリックとプロテスタントとが共同して行った聖書の翻訳がある。これは世界的な取り組みの一環であったが、わが国における共同訳の聖書は、昭和五十年から部分的な出版が始まり、六十二年九月、最終的に『聖書 新共同訳』として完成をみた。
 札幌では、新約聖書の共同出版記念会が、五十三年十月、藤女子大学の講堂で開催された。新共同訳として完成後は、札幌市内でもその翌年六十三年五月に豊平教会が試用を始めるなど、八〇年代末から九〇年代には、カトリック日本基督教団日本キリスト教会〔平成七年(一九九五)、「日本基督教会」を改称〕、日本聖公会の諸教会で新共同訳が使用され始めた。聖書を無償贈与することをもって伝道としてきた国際ギデオン協会でも、平成九年に国際理事会で新共同訳聖書を配付対象と決定したことから、札幌でも翌年以降、日本国際ギデオン協会の支部(札幌、札幌北、札幌南)が学校の校門などで、生徒らに贈呈する聖書の中に新共同訳聖書を加えた。同年には発刊一〇周年を期して全国的に開催された聖書展が、八月十四日~十九日、「歴史が語るロマン'97さっぽろ聖書展」として、丸井今井デパートで開催された。ここではとくに「クラークバイブル」、ジョン・バチェラー訳「アイヌ語祈祷書」「詩篇」など北海道ゆかりの聖書も展示され、延べ八二〇〇人の来場者があった。

写真-4 復元されたグーテンベルク印刷機の実演/さっぽろ聖書展にて(平9.8.14)

 平成七年(一九九五)は、第二次世界大戦の戦後五〇年にあたったが、キリスト教の諸教団は、それぞれ戦後五〇年を期して声明を発表した。これらは国家や天皇の戦争責任のみならず、戦争に加担した自らの責任を告白する内容であった。同年四月十日のキリスト教九団体による「戦後五〇年を迎えるキリスト者の反省と課題」では、プロテスタント諸教団の連合体である日本キリスト教協議会(NCC)、日本福音同盟(JEA)などとカトリック教会がともに平和の実現を共通の課題として表明した。札幌でも、同年八月十五日にカトリック、プロテスタントそれぞれの平和集会と平和行進が行われ、大通公園で合流し、ともに平和を祈った。