靖国神社問題と並行して、昭和四十三年には防衛庁が夕張郡長沼町にナイキ基地を建設するという問題が起こった。すでに恵庭事件(農業被害のため島松演習場での自衛隊演習を阻止しようとした酪農家を、国が自衛隊法で訴えた裁判)に早くから取り組んできた北海道キリスト者平和の会は、前年四十二年三月に恵庭事件が無罪判決となった後、長沼ナイキ基地反対運動に取り組み、一審の札幌地方裁判所は昭和四十八年九月に自衛隊が憲法違反であるとの判決を下した。恵庭・長沼事件への平和の会の取り組みは、靖国神社問題とともに、平和運動がキリスト教界に浸透する契機となった。
とくに日本基督教団北海教区は、七〇年代(昭和四十五~)に社会問題への関わりを深め、平成三年(一九九一)の湾岸戦争以降では、同教区や北海道キリスト者平和の会、靖国神社国営化阻止キリスト者グループが、市民団体と共同してPKO協力法、国家秘密法、泊原子力発電所稼働、日米新ガイドライン関連法、国旗・国歌制定法、イラク派兵・有事法制関連法などの反対運動に取り組んだ。カトリックも、昭和五十年(一九七五)、札幌地区正義と平和委員会を発足させたが、六十年札幌地区信徒使徒職協議会の下に、札幌地区正義と平和委員会が再編された。同年八月には平和旬間として平和・人権の問題に取り組んだが、とくに指紋押捺反対の街頭署名を行い、諸集会を開催した。カトリック月寒教会司祭ジュレー・ロウも在日韓国・朝鮮人に連帯して、十月指紋押捺を拒否した。この運動は、プロテスタントと共同して進められた。
この時期、主としてプロテスタントの諸教会、キリスト者が共同して、いのちと健康にかかる取り組みがなされた。その一つに前述の国際ギデオン協会札幌支部の修養会(四十二年九月)後の祈り会で希求された、老人ホーム建設があった。これが四十五年五月、定款に「キリスト教の精神」を標榜して開園した特別養護老人ホーム神愛園である。神愛園が発起された頃は、寝たきり老人のホームに対する理解が一般的にはまだ少なく、この設立が高齢者福祉への理解を深めさせることになった。また、キリスト者によって発起され広く市民に担われてきた活動に、五十四年一月二十五日に開局した「北海道いのちの電話」がある。これは、日本で五番目の「いのちの電話」である。平成十一年(一九九九)の二〇周年までに青少年の悩み、〝自殺念慮〟などの電話相談二五万件以上を受けた。この事務所は、発起された当初から日本基督教団札幌教会内に置かれている。
このほかアルコール依存症から脱却させるための社会復帰中間施設が、カトリックとプロテスタント双方で開設されている。カトリックでは五十二年(一九七七)から中毒者の回復をめざす活動が始まり、五十七年に札幌マックハウス(白石区菊水)が復帰施設として開設した。プロテスタントでは、青十字サマリヤ館がOMFの宣教師によって四十七年から活動が始められ、五十三年に南区藤野の現在地に開設した。平成七年(一九九五)にはふじの共同作業所が開所し、サマリヤ館の退館者が授産作業に従事するために通所している。