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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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明治天皇御巡幸の折奉りたる地図 ([解説])

9月6日、上州松井田駅御発輦、7日~10日軽井沢~小諸と経由して9月11日午後4時頃上田行在所(あんざいしょ,その上田行在所は白亜の殿堂で、3階に露台(バルコニー)が設けられ、明治天皇が上田地域を展望することとなり,其所で上田では町分で今の市役所の所へ上田街学校を新築して之を行在所に充てることになった。,私はその当時の事情は知らないが、この行在所の準備や御用向きは旧藩士や房山、山口と称した在分の人は与らずに,これが保作少年十六の時で、そんな関係からでもあるまいが、翁は行在所の御給仕に上った。
上田市街全図 ([解説])

9月6日、上州松井田駅御発輦、7日~10日、軽井沢~小諸と経由して9月11日午後4時頃上田行在所(あんざいしょ,その上田行在所は白亜の殿堂で、3階に露台(バルコニー)が設けられ、明治天皇が上田地域を展望することとなり,其所で上田では町分で今の市役所の所へ上田街学校を新築して之を行在所に充てることになった。,私はその当時の事情は知らないが、この行在所の準備や御用向きは旧藩士や房山、山口と称した在分の人は与らずに,これが保作少年十六の時で、そんな関係からでもあるまいが、翁は行在所の御給仕に上った。
龍駕の跡 (2地方官心得書-形容虚飾の禁止)

また、明治9年に追加された条文は、管内巡査による行列警護、休泊所への官員派遣、行在所(あんざいしょ)に,第3条は、行在所は土地の事情に従い、天皇はどのような不便をも忍ぶと述べている。  
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

此処より御昼行在所(あんざいしょ 行幸の際の仮のすまい)たる軽井沢迄はまだ余程遠ければとて、此処の茶屋,行在所(あんざいしょ)は旧本陣たる佐藤織衛の邸内にして「行在所」と厳(いかめし)く記したる表門より遥入,今日初めての御小休(こやすみ)所は、馬瀬口村と称する一農村にして、行在所(あんざいしょ)は高山重三郎の,午後四時頃行在所(あんざいしょ)に著かせ給ふ。,午前八時行在所(あんざいしょ)御発輦、楢崎県令(今の県知事)御先導仕る、松野少書記官は先登に立ち、属僚
「上田郷友会月報」記念号中「既往八十年」 ([ルビ・注記])

明治十一年、明治天皇北陸御巡幸の際、行在所となったが、     明治三十一年火災で焼失した。,明治十一年に明治天皇巡行のため     行在所(あんざいしょ)としてつくられたが、     後町民,九月七日は、御巡幸(ごじゅんこう)の砌(みぎり)、本校が行在所(あんざいしょ)に当てられた、 記念日,天皇陛下には、四月二十七日広島行在所御発輦(ごはつれん)、夕刻京 都御所に御安着、三十日東京に還幸(
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