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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(金井村)
1巻 p1011に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 南河原(みなみかわら)/八幡(
はち
まん,川: 夜間瀬川(よませがわ)/川除(かわよけ) 渡・堰: 用水堰(ようすいせぎ)/八幡堰(
はち
まんせぎ,壁田道(へきだみち)/平穏村温泉道(ひらおむらおんせんみち) 社: 伊勢社(いせしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ,民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 永禄八年星川洪水(えいろく
はち
ねんほしかわこうずい
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小山村)
(やぶ)/土堤下(どてした)/金井原(かないはら)/屋部裏(やぶうら)/屋部下(やぶした)/八幡前(
はち
まんまえ,)/八幡(
はち
まん)/森上(もりうえ)/八幡裏(
はち
まんうら)/境沢(さかいざわ)/入河原(いりがわら,への往還(ながの、まつしろへのおうかん)/松代通り往還(まつしろどおりおうかん) 社: 八幡社(
はち
まんしゃ,)/天神社(てんじんしゃ)/諏訪社(すわしゃ)/伊勢社(いせしゃ)/若宮八幡社(わかみや
はち
まんしゃ)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(其綿村)
見る キーワード 字地: 西沢(にしざわ)/中屋(なかや)/塔ヶ原(とうがはら)/平八入(へい
はち
いり,こひるがわ)/鴨引(かもひき)/蛭川(ひるがわ) 山: 芦ヶ入山(よしがいりやま)/平八入山(へい
はち
いりやま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(蓮村)
蓮村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):飯山市(いいやまし) 明治初期:蓮村(
はち
すむら,) 幕末から明治初期:蓮村 幕末から明治初期(よみ):
はち
すむら 『長野県町村誌』 1巻 p585
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(柳沢村)
おちあい)/屋敷沿(やしきぞい)/道下(みちした)/小石原(こいしはら)/宮南(みゃみなみ)/八幡塚(
はち
まんづか,養蚕(ようさん) その他特記ワード: 大久保・舟場・八幡塚より曲玉・管玉出土(おおくぼ・ふなば・
はち
まんづかよりまがたま・くだたましゅつど
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(富倉村)
にごりざわ)/向平/中野/前山/明神池(みょうじんいけ)/大田入/外山/川下/川上/細野 山: 岩立山/
ハチ
,伐薪/炭焼/冬季運送/藁細工 民業女: 農桑/農間縫織 その他特記ワード: 観音林/家裏林/
ハチ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(八満村)
八満村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:八満村(
はち
まんむら,) 幕末から明治初期:八幡村 幕末から明治初期(よみ):
はち
まんむら 『長野県町村誌』 2巻
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(片丘村)
大原圃/花見田甫/野岸田/堀村宅地/新田々甫/征矢野原田/ナカラ古屋敷宅地/花見田 山: 鉢伏(
はち
ぶせ,五千石街道 社: 八幡社/大神社/諏訪社/八幡社/八幡社/日岐社/諏訪社/諏訪社/稲荷社/諏訪社/鉢伏(
はち
ぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(新保村)
にしじょうさかい)/割目(わりめ)/居荒(いあら)/二ツ橋(ふたつはし)/小沼裏(おぬまうら)/鉢窪(
はち
くぼ,(ほりわりみぞ)/水鼻溝(みずばなみぞ)/田中溝(たなかみぞ)/二ツ橋溝(ふたつばしみぞ)/鉢窪溝(
はち
くぼみぞ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高井村)
くろべむら 『長野県町村誌』 1巻 p770に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 八幡添(
はち
まんぞい,草津に達する道路(くさづにたっするどうろ) 社: 天照大神社(あまてらすおおかみしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(夜間瀬村)
くさづおんせんばへのおうかん) 社: 豊受社(とようけしゃ)/八社大神神社(はっしゃおおがみじんじゃ)/諏訪八幡社(すわ
はち
まんしゃ,)/飯綱社(いいづなしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ)/馬背神社(ませじんじゃ)/天皇社(てんのうしゃ)/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(往郷村)
豊鳥出神社(とよとりでじんじゃ)/豊足穂神社(とよたるほじんじゃ)/猿田彦社(さるたひこしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ,)/大山祇社(おおやまづみしゃ)/伊勢社(いせしゃ)/巣鷹八幡社(すたか
はち
まんしゃ)/四野宮大神(しのみやおおかみ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中之条村)
はまなすわたしぶね) 道路: 北国街道 社: 中條神社(なかじょうじんじゃ)/逆木八幡(さかさぎ
はち
まん
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(吉村)
ねごしせぎ) 道路: 市川往還支道(いちかわおうかんしどう) 社: 諏訪社(すわしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(下木島村)
古樋堰(ふるとよせぎ) 橋: 備足橋 道路: 市川往還(いちかわおうかん) 社: 八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(福島村)
)/屋敷割(やしきわり)/村東(むらひがし)/高嶋(たかしま)/北嶋(きたじま) 川: 八幡川(
はち
まんがわ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(八町村)
はなだきた)/合津(あいづ)/北古屋(きたふるや)/笹ヶ﨑(ささがたき) 社: 高井八守社(たかい
はち
もりじんじゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(安曇村)
しましま)/持人/大野田 山: 鎗ヶ岳(やりがたけ)/保高岳/焼岳(やけだけ)/乗鞍岳/霞岳/八盛岳(
はち
もり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(上飯田村)
(みのぜまち) 山: 風越山 川: 松川 道路: 伊那街道 社: 郊戸八幡社(ごうど
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(野坂田村)
(はしば)/番匠田(ばんじょうだ)/西土浮(にしどぶ)/中土浮(なかどぶ)/替田(かいた)/八枚田(
はち
まいた
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(北信村)
『長野県町村誌』 1巻 p681に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 北/大八(だい
はち
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(南条村)
おうちはやおじんじゃ)/酒玉神社(さかだまじんじゃ)/速素戔嗚神社(はやすさのおじんじゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中山村)
ページを見る キーワード 字地: 汐上/汐下/道上/道下/上耕地/下耕地/神ノ地 山: 鉢伏(
はち
ぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日滝村)
なかのまちにいたるろせん) 社: 健御名方神社(たてみなかたじんじゃ)/相杜神社(あいもりじんじゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(西条村)
おんたけいけ)/溜池(ためいけ)/旅屋井(たびやい) 道路: 隣村道(りんそんみち) 社: 八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大島村)
おしきり)/田割(たわり)/午の起(うまのおこし)/札場(ふだば)/下河原(しもがわら)/八左衞門島(
はち
ざえもんじま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(安源寺村)
どいみぞ)/前堤(まえつつみ) 道路: 草津街道(くさつかいどう) 社: 小内八幡社(おうち
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(若宮村)
したせぎ) 道路: 越後道(えちごみち)/竹原道(たけわらみち) 社: 若宮八幡社(わかみや
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(穂高村)
一川谷大元神社(いちかわだにおおもとじんじゃ)/豊秋津洲神社(とよあきつしまじんじゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
木曾山林学校
(手紙の一節)
なった立場から眺めるとそんなに詰らなく見えるか知らん、立場が異ると言って一も二もなくコナシ附けると云ふ事
はチ
ト
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(寒沢村)
なかのみち) 社: 浅間社(あさましゃ)/神明社(しんめいしゃ)/瀧之宮社(たきのみやしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
安曇・筑摩両郡旧俗伝
([現代訳])
という所に、白竜王(はくりゅうおう)とい者がいて、犀竜と交合して一人の子を産んだ、その子は八峯瀬山(
はち
ぶせやま,という所の岩穴に入って隠れていた、それから何年か経ってのちに、小太郎のいうことには、私は八峯瀬権現(
はち
ぶせごんげん,にもある、釣り生業として暮らしている、諸神(しょしん、もろもろの神々)は憐れんでいる、なかでも、鉢伏(
はち
ぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(小河原村)
まつしろまちにたっするみち) 社: 諏訪社(すわしゃ)/天神社(てんじんしゃ)/神明社(しんめいしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(中山村)
竪壁山(たてかべやま)/中ノ倉山(なかのくらやま)/横手山(よこてやま)/満山(みつるやま)/八滝山(
はち
たきやま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(入山辺村)
ノ沢/小仏(こぼとけ)/大仏(おおぼとけ)/大和合(おおわごう)/牛立(うしだて) 山: 八伏(
はち
ぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(須坂町)
しばみや)/六角堂(ろっかくどう)/宗石(そうせき)/青木(あおき)/金井原(かないはら)/八幡裏(
はち
まんうら
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(川田村)
みくりやばし)/高橋(たかはし) 社: 長田神社(ながたじんじゃ)/小出神社(こいでじんじゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
分県之建白
(信濃国から二つの県へ)
いっぽうの「長野県」は、中野県が「長野県」となった県(第1次)と
はち
がいますから「第2次長野県」と呼んでおきましょう
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊郷村)
うえせぎ) 道路: 北国脇街道(ほっこくわきかいどう) 社: 湯沢神社(ゆざわじんじゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
木曾山林学校
(拔萃)
4、江南竹・苦竹(にがたけ)・淡竹(
はち
く)の類(注23)は其林内の新竹に一々年度を記入し置くべし。
浅間焼覚帳
([解説])
天明五年に「八幡宿」の「依田七郎兵衛」が中心となって「与良大橋」が架橋されているからである(八満村〈
はち
まんむら
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(堺村)
)/御崎社(おさきしゃ)/十二社(じゅうにしゃ)/熊野社(くまのしゃ)/諏訪社(すわしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(高野村)
さんぶおおかみおくしゃ)/同社里社(どうしゃさとしゃ)/十二大神社(じゅうにおおかみしゃ)/八幡社(
はち
まんしゃ
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行
(長野師範学校開業式)
乃(すな
はち
)勅(みことのり)文部。改定教育令。頒行於諸 県。将以救此弊於未萌。其憂国。其憂民。
パスファインダー
(山極勝三郎博士)
市川厚一 うさぎ コール タール 顕微鏡 荒木寅三郎 長与又郎 曲川 俳句 和歌 曲川句集 サトウ
ハチ
ロウ
上田郷友会月報 第壱号
([翻刻])
発兌スル所以ニシテ毎 (改頁) 号記録スル所ハ 記事 諭説及雑録 雑報ノ四項トス 即
ハチ
西江部村篠田家文書
([解説])
大草代官は、今までの代官と
はち
がい、「時すぎて訴えることは法が許さないが、しかし、民の困苦は代官の責任
木曾山林学校
(科学文明と信仰)
統一するは朕の使命なり、この大使命の前には神の外恐るべきものなし」との天の神に対する誓ひの言葉は、すな
はち
分県之建白
(分県之建白[全文])
テ以テ滑カニ自 治ノ精神依テ以テ起リ、独リ我南部七郡人 民ノ栄ノミナラス又信濃ノ幸卜云フヘシ、則
ハチ
浅間焼覚帳
([翻刻])
、原新田村常右衛門 打つふし、焼払、小諸御領へ入、小原助四郎、柏木村 喜太夫・新五郎、此三人
ハち
う
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