• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧

NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 76件
辞書ファセット
/ 2ページ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (金井村)

1巻 p1011に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 南河原(みなみかわら)/八幡(はちまん,川: 夜間瀬川(よませがわ)/川除(かわよけ) 渡・堰: 用水堰(ようすいせぎ)/八幡堰(はちまんせぎ,壁田道(へきだみち)/平穏村温泉道(ひらおむらおんせんみち) 社: 伊勢社(いせしゃ)/八幡社(はちまんしゃ,民業女: 農桑(のうそう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 永禄八年星川洪水(えいろくはちねんほしかわこうずい
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小山村)

(やぶ)/土堤下(どてした)/金井原(かないはら)/屋部裏(やぶうら)/屋部下(やぶした)/八幡前(はちまんまえ,)/八幡(はちまん)/森上(もりうえ)/八幡裏(はちまんうら)/境沢(さかいざわ)/入河原(いりがわら,への往還(ながの、まつしろへのおうかん)/松代通り往還(まつしろどおりおうかん) 社: 八幡社(はちまんしゃ,)/天神社(てんじんしゃ)/諏訪社(すわしゃ)/伊勢社(いせしゃ)/若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (其綿村)

見る キーワード 字地: 西沢(にしざわ)/中屋(なかや)/塔ヶ原(とうがはら)/平八入(へいはちいり,こひるがわ)/鴨引(かもひき)/蛭川(ひるがわ) 山: 芦ヶ入山(よしがいりやま)/平八入山(へいはちいりやま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (蓮村)

蓮村 地域 北信 市町村名 現在(令和2年):飯山市(いいやまし) 明治初期:蓮村(はちすむら,) 幕末から明治初期:蓮村 幕末から明治初期(よみ):はちすむら 『長野県町村誌』 1巻 p585
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (富倉村)

にごりざわ)/向平/中野/前山/明神池(みょうじんいけ)/大田入/外山/川下/川上/細野 山: 岩立山/ハチ,伐薪/炭焼/冬季運送/藁細工 民業女: 農桑/農間縫織 その他特記ワード: 観音林/家裏林/ハチ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (柳沢村)

おちあい)/屋敷沿(やしきぞい)/道下(みちした)/小石原(こいしはら)/宮南(みゃみなみ)/八幡塚(はちまんづか,養蚕(ようさん) その他特記ワード: 大久保・舟場・八幡塚より曲玉・管玉出土(おおくぼ・ふなば・はちまんづかよりまがたま・くだたましゅつど
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (八満村)

八満村 地域 東信 市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:八満村(はちまんむら,) 幕末から明治初期:八幡村 幕末から明治初期(よみ):はちまんむら 『長野県町村誌』 2巻 
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (片丘村)

大原圃/花見田甫/野岸田/堀村宅地/新田々甫/征矢野原田/ナカラ古屋敷宅地/花見田 山: 鉢伏(はちぶせ,五千石街道 社: 八幡社/大神社/諏訪社/八幡社/八幡社/日岐社/諏訪社/諏訪社/稲荷社/諏訪社/鉢伏(はちぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (新保村)

にしじょうさかい)/割目(わりめ)/居荒(いあら)/二ツ橋(ふたつはし)/小沼裏(おぬまうら)/鉢窪(はちくぼ,(ほりわりみぞ)/水鼻溝(みずばなみぞ)/田中溝(たなかみぞ)/二ツ橋溝(ふたつばしみぞ)/鉢窪溝(はちくぼみぞ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (往郷村)

豊鳥出神社(とよとりでじんじゃ)/豊足穂神社(とよたるほじんじゃ)/猿田彦社(さるたひこしゃ)/八幡社(はちまんしゃ,)/大山祇社(おおやまづみしゃ)/伊勢社(いせしゃ)/巣鷹八幡社(すたかはちまんしゃ)/四野宮大神(しのみやおおかみ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (高井村)

くろべむら 『長野県町村誌』 1巻 p770に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 八幡添(はちまんぞい,草津に達する道路(くさづにたっするどうろ) 社: 天照大神社(あまてらすおおかみしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (夜間瀬村)

くさづおんせんばへのおうかん) 社: 豊受社(とようけしゃ)/八社大神神社(はっしゃおおがみじんじゃ)/諏訪八幡社(すわはちまんしゃ,)/飯綱社(いいづなしゃ)/八幡社(はちまんしゃ)/馬背神社(ませじんじゃ)/天皇社(てんのうしゃ)/
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中之条村)

はまなすわたしぶね) 道路: 北国街道 社: 中條神社(なかじょうじんじゃ)/逆木八幡(さかさぎはちまん
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (福島村)

)/屋敷割(やしきわり)/村東(むらひがし)/高嶋(たかしま)/北嶋(きたじま) 川: 八幡川(はちまんがわ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (八町村)

はなだきた)/合津(あいづ)/北古屋(きたふるや)/笹ヶ﨑(ささがたき) 社: 高井八守社(たかいはちもりじんじゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (吉村)

ねごしせぎ) 道路: 市川往還支道(いちかわおうかんしどう) 社: 諏訪社(すわしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (下木島村)

古樋堰(ふるとよせぎ) 橋: 備足橋 道路: 市川往還(いちかわおうかん) 社: 八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (安曇村)

しましま)/持人/大野田 山: 鎗ヶ岳(やりがたけ)/保高岳/焼岳(やけだけ)/乗鞍岳/霞岳/八盛岳(はちもり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上飯田村)

(みのぜまち) 山: 風越山 川: 松川 道路: 伊那街道 社: 郊戸八幡社(ごうどはちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (野坂田村)

(はしば)/番匠田(ばんじょうだ)/西土浮(にしどぶ)/中土浮(なかどぶ)/替田(かいた)/八枚田(はちまいた
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (南条村)

おうちはやおじんじゃ)/酒玉神社(さかだまじんじゃ)/速素戔嗚神社(はやすさのおじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (北信村)

『長野県町村誌』 1巻 p681に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 北/大八(だいはち
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中山村)

ページを見る キーワード 字地: 汐上/汐下/道上/道下/上耕地/下耕地/神ノ地 山: 鉢伏(はちぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (日滝村)

なかのまちにいたるろせん) 社: 健御名方神社(たてみなかたじんじゃ)/相杜神社(あいもりじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (西条村)

おんたけいけ)/溜池(ためいけ)/旅屋井(たびやい) 道路: 隣村道(りんそんみち) 社: 八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (大島村)

おしきり)/田割(たわり)/午の起(うまのおこし)/札場(ふだば)/下河原(しもがわら)/八左衞門島(はちざえもんじま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (穂高村)

一川谷大元神社(いちかわだにおおもとじんじゃ)/豊秋津洲神社(とよあきつしまじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ
木曾山林学校 (手紙の一節)

なった立場から眺めるとそんなに詰らなく見えるか知らん、立場が異ると言って一も二もなくコナシ附けると云ふ事はチト
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (安源寺村)

どいみぞ)/前堤(まえつつみ) 道路: 草津街道(くさつかいどう) 社: 小内八幡社(おうちはちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (若宮村)

したせぎ) 道路: 越後道(えちごみち)/竹原道(たけわらみち) 社: 若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (寒沢村)

なかのみち) 社: 浅間社(あさましゃ)/神明社(しんめいしゃ)/瀧之宮社(たきのみやしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
安曇・筑摩両郡旧俗伝 ([現代訳])

という所に、白竜王(はくりゅうおう)とい者がいて、犀竜と交合して一人の子を産んだ、その子は八峯瀬山(はちぶせやま,という所の岩穴に入って隠れていた、それから何年か経ってのちに、小太郎のいうことには、私は八峯瀬権現(はちぶせごんげん,にもある、釣り生業として暮らしている、諸神(しょしん、もろもろの神々)は憐れんでいる、なかでも、鉢伏(はちぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小河原村)

まつしろまちにたっするみち) 社: 諏訪社(すわしゃ)/天神社(てんじんしゃ)/神明社(しんめいしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中山村)

竪壁山(たてかべやま)/中ノ倉山(なかのくらやま)/横手山(よこてやま)/満山(みつるやま)/八滝山(はちたきやま
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (入山辺村)

ノ沢/小仏(こぼとけ)/大仏(おおぼとけ)/大和合(おおわごう)/牛立(うしだて) 山: 八伏(はちぶせ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (須坂町)

しばみや)/六角堂(ろっかくどう)/宗石(そうせき)/青木(あおき)/金井原(かないはら)/八幡裏(はちまんうら
酩酊気質 下 ([解題])

江戸時代の町火消の火消人足の喧嘩を取材した作品である『侠太平記向鉢巻(きゃんたいへきむこうはちまき)』
分県之建白 (信濃国から二つの県へ)

いっぽうの「長野県」は、中野県が「長野県」となった県(第1次)とはちがいますから「第2次長野県」と呼んでおきましょう
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (川田村)

みくりやばし)/高橋(たかはし) 社: 長田神社(ながたじんじゃ)/小出神社(こいでじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

始まらないうちだが、男に2合、女に1合の米が支給され、命の綱とすることを述べている(史料中の八木は「はちぼく
木曾山林学校 (拔萃)

4、江南竹・苦竹(にがたけ)・淡竹(はちく)の類(注23)は其林内の新竹に一々年度を記入し置くべし。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (豊郷村)

うえせぎ) 道路: 北国脇街道(ほっこくわきかいどう) 社: 湯沢神社(ゆざわじんじゃ)/八幡社(はちまんしゃ
春色梅児誉美 ([解題])

その丹次郎に唐琴屋の娘で許嫁(いいなづけ)のお長、丹次郎の恋人で、深川の芸者米八(よねはち)、米八の傍輩
浅間焼覚帳 ([解説])

天明五年に「八幡宿」の「依田七郎兵衛」が中心となって「与良大橋」が架橋されているからである(八満村〈はちまんむら
贈答百人一首 ([序文等])

正法にふしぎなしと諺にいへども、邪法に奇特あらばなどか正法に神妙ふしぎのなからんや、信に徳あるはすなはち,、 [七丁オモテ 下段] 或官女つゝみが滝を尋きて つの国の つゝみが滝を きて見れば したにはちゝと,にきて見れば」とは縁なし、「打見れば」とせばいかゞ、官女おどろき「打見れば」となす、又婆々が曰「下にはちゝ
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (堺村)

)/御崎社(おさきしゃ)/十二社(じゅうにしゃ)/熊野社(くまのしゃ)/諏訪社(すわしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
長野師範学校は初めて学年・学期を定め、開業式・卒業式を挙行 (長野師範学校開業式)

乃(すなはち)勅(みことのり)文部。改定教育令。頒行於諸 県。将以救此弊於未萌。其憂国。其憂民。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (高野村)

さんぶおおかみおくしゃ)/同社里社(どうしゃさとしゃ)/十二大神社(じゅうにおおかみしゃ)/八幡社(はちまんしゃ
パスファインダー (山極勝三郎博士)

 市川厚一 うさぎ コール タール 顕微鏡 荒木寅三郎 長与又郎 曲川 俳句 和歌 曲川句集 サトウハチロウ
上田郷友会月報  第壱号 ([翻刻])

発兌スル所以ニシテ毎   (改頁) 号記録スル所ハ    記事 諭説及雑録 雑報ノ四項トス 即ハチ
/ 2ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました