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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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木曾山林学校 (シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』)

シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』 2              小 松 吉 次 郎(注6 / シユリツヒ氏森林学抄訳 『第14号つづき』
松本藩庄内組大庄屋御用留 (5、「御用留」にみる善光寺大地震の記録)

「廿四日夜五ツ七分頃、地震ゆり出し増々強ク大ゆりニて、我等方家居土蔵共ニ大ニ損し、四ツ時頃迄ゆり出し、,25日は、「当日も終日ゆり候得共、格別大ゆり者無之」、「地震ニ付筑摩神社江只今ヨリ御祈祷被仰付候」、28,日「夜九ツ時大ゆり」、29日「地震ニ付善光寺参詣人死失之者書上」、4月6日「天気地震有之候但シ強シ」、
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (上野村)

雨池/下戸畑/西ノ入/戸畑/内小屋/城山/畑山下平/畑山/竪岩/小畑/切石/太郎山/砂原/立山/堀越/ユリ,養蚕・山稼 民業女: 養蚕/(余間)生糸・縫織 その他特記ワード: 掲示場/森林(畑山下平・ユリ
浅間山 (第六編 浅間山附近の植物)

ここには・スギナ・マツミシソウ・クルマユリ・ススキ・アカマツ・ツガ・モミなどの名があげられています。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (北信村)

学校: 節用学校 古跡・名勝: 松井長者宅跡 物産1: 米/蕎麦(そば)/粟(あわ)/百合(ゆり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (一山村)

古跡・名勝: 上境城址/殿屋敷跡/山姥ヵ嶽/湯滝/茶屋池 物産1: 米/楮(こうぞ)/百合(ゆり
信濃名勝詞林 (象山佐久間先生遺澤の碑)

通称は修理(しゅり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)
パスファインダー (真田三代の妻妾・子女)

1 論題名 真田宝物館所蔵恩田文書ついて―戦国期真田家家臣の一形態― 著者名 山中さゆり
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (堺村)

キーワード 字地: 雪坪(ゆきつぼ)/塩尻(しおじり)//屋敷(やしき)/柿在家(かきざいけ)/百合居(ゆりい
松本藩庄内組大庄屋御用留 ([翻刻])

も折々ゆり申候、  夜迄一向ねも屋らて、家内  不残打寄夜明迄、度々  何度与申数も不覚ゆり、,    (改頁)      43    漸々夜明少し安心致候へ共、  間もなくゆり大心配  ,候得共、格別  大ゆり者無之、種々之義を  申唱へ候、夜ニ入七ツ時頃又々  大ゆり有之候、其外者中位,、   廿六日 一当日八ツより七ツ之品大ゆりと  申義故用心致候処、成程  八ツ半大ゆり引続申候,、  七ツ之頭頃大ゆりニ候、夜ニ入  度々ゆり候、     (改頁)      44  
「信濃博物学雑誌」(第3号雷鳥特集) ([解説])

森林帯でトガクシショウマを発見し、白馬尻から大雪渓を登り、お花畑でウルップソウ・ムシトリスミレ・クロユリ
はなの (夏部)

 松雲 五月雨や芽ばる野口のこぼれ麦 中ジマ 蓬水 43 思ふ図に落入雨の五月哉 百合 ゆり,咲て露けきものは見えぬ也 ねぶさたも眠たしゆりの花傾ぎ ワか宮 寿来 萓草 くはん草のちらで倒
むしくら日記 (2巻 亨)

当月廿四日昼夜快晴暖気ニ而穏之日ニ御坐候処、  同夜四時頃大地震ニ而、信州中之条村私陣屋  構煉塀所々ゆり,倒し、其外陣屋元近辺村々     (改頁)      28    農家手弱之分は下家廻りゆり倒,より善光寺、夫より南へ当り山中与唱候  一郷辺重モ之地震与相見、川中嶋辺は民家一村  不残又ハ過半ゆり,一村三四十人位より二三百人程も     (改頁)    即死怪我人有之、善光寺町は家並大体不残  ゆり
はなの (春部)

汐干がりつめたき水を見付けたり 永き日 永き日になれて中/\くれをしき 武曰 長き日の枕に琴のゆり
むしくら日記 (1巻 元)

早々返事待申候、   信州辺ハ大へん之由、大ニ安事申候、右之旨小屋之内   ニ而認メ申候、今以度々之小ゆり,ニて所々之家つふれ申候、何分此   節ハ小屋之内故別而人のけかハ無御座候、其後   七ツ時ニ又々ゆり,              山越嘉膳   此硫黄田の事を按るに、クサウヅなるへし、兼て其 気のある所をゆり
むしくら日記 (4巻 貞)

年来鱒とりて業としけるか、橋より下の方ニて畚に 下りて有しか、縄きれて落、八九間も流れける時、大ゆり
小県郡民謡集 (児童謡)

酒屋一番 きりようがよくて 立てで芍薬(しゃくやく 注5)すわれば牡丹(ぼたん)  歩く姿は百合(ゆり
源氏百人一首 ([本文])

 たなれのこまに かりかはん さかりすぎたる 下葉なりとも 桐壺の帝の頃のないしのすけ修理大夫(しゆりのたいふ
龍駕の跡 (龍駕(りょうが 天子の車)の跡(注一))

)に富み、海浜(かいひん)遠く隔たれば之とて海産(かいさん)の上(たてまつ)るべきものなく、狩猟(しゅりょう
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