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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大下條村)
大
下條
村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):阿南町(あなんちょう) 明治初期:大
下條
村,嶮名山/石休戸山/弁当山 川: 天竜川 渡・堰: 川田渡 橋: 巾川橋 道路:
下條
街道,寺: 正法寺(しょうぼうじ)/観音寺(かんのんじ)/松岳寺(しょうがくじ)/観音堂 学校: 大
下條
学校,/大
下條
支校 古跡・名勝: 上田の城跡/権現城跡井戸城跡 物産1: 柿/楮 民業男: 農,農/(農間)紡績 その他特記ワード: 深見池 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 大
下条
村図 / 大
下條
村
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(日下野村)
/丸山/切久保/桜出/大崩/中村/新井/梅木/親沢/乗出合/城ノ腰/古屋鋪/松ノ木/芦ノ窪/大柿/上
下条
,/下
下条
山: 大姥山 川: 茅原川/梅木川 道路: 長野より松本への道 社: 伊勢社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(睦沢村)
睦沢村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):
下條
村(しもじょうむら) 明治初期:睦沢村(,史料ID:6-1 1-15 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
下条
村誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(富草村)
ちょうしょういん)/梅林寺(ばいりんじ) 学校: 富草学校(とみくさがっこう)/知了学校 古跡・名勝:
下條
氏,の城跡/千貫松/
下條
氏墓 物産1: 大豆/酒 物産2: 蚕蛹/楮/串柿/葉茶 民業男: 農
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(陽皐村)
陽皐村 地域 南信 市町村名 現在(令和2年):
下條
村(しもじょうむら) 明治初期:陽皐村(,史料ID:6-1 1-16 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB
下条
村誌
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(開田村)
ページを見る キーワード 字地: 上条/大明/髭沢/把ノ沢(たばのさわ)/本郷/藤沢/西又沢/大
下条
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(新開村)
うえだ)/幸沢(こうさわ)/熊沢(「くまざわ)/上野/黒川渡(「くろかわど)/杭ノ原(くいのばら)/
下条
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(旦開村)
丸山/岩倉山/下矢坪上 川: 売木川(うるぎがわ)/波合川(なみあいがわ)/大滝 道路:
下條
街道
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(大桑村)
平沢/西脇/弓谷/古山/荒谷/林/太山/下モ在郷/八人石/阿寺(あでらら)/前野/川向/半場/小川/
下条
秀吉と真田
(家康の命令による上田築城の開始)
このとき家康が出陣を命じたとみてよい下伊那の
下条
氏に対して城普請の苦労をねぎらうとともに、早期の完成を,
下条
氏は家康配下の当時の伊那の最有力の士でもあったが、その状況からして、この普請とは間違いなく上田築城普請
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(福島村)
キーワード 字地: 上町/下町/上之段町/八沢(やさわ)町/中畑/向城/川西/伊谷洞/中組/
下条
信州飯田町家控
([現代訳])
一天正10(1582)年織田平信忠公が甲州追討として、
下條
口より入ってきました。,
下条
伊豆守殿父子は浪合を固め、
下條
は家老
下条
九兵衛殿が守っていました。,
下条
九兵衛は、信忠公へ心をよせ、
下條
口より川尻肥後守殿の人数を引入れ、合わせて木曽峠より団ノ平八郎宗忠,しかし頼りにしていた
下条
・松尾の両城主は織田方へ降参して、案内者となっているため、城中の者たちはあわてふためき,一
下條
領28ケ村は3700石余、月原より南は三州境新野村迄 一上伊那箕輪領23ケ村は10000
信州飯田町家控
([翻刻])
小田原北條家之御執持を以武田晴信公より 坂西公へ本領無相違賜て御帰城 一天正十年織田平信忠公甲州為御追討、
下條
口, より御打入之時、
下條
伊豆守殿御父子ハ浪合を固め 給ひ
下條
ハ御家老
下条
九兵衛殿守たる、信忠公へ,心を よせ
下條
口より川尻肥後守殿人数を引入相并而木曽 (改頁) 9 , とて、小幡因幡守殿同舎弟五郎兵衛殿波多源左衛門 殿御越有て、一城を守里給ふ、然れ共頼切たる
下条
松尾,此物成六百三拾壱石九斗八升弐合平均免四ツ四分 五厘余、猶此内ニ而物成拾五石七斗三升九合御城廻り 出来分 一
下條
領二十八
伊那繁昌記
([解説])
大宮諏訪神社、松尾村の①県社八幡社②松尾城址、大島村の大島城址、浪合村(阿智村)の尹良(ゆきよし)親王社、
下條
村
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
(改頁) 33 一上川路村より享保三戌年願出候者、上川路村之義者伊豆木・
下条
辺下向,恐奉存候、然所近来駄卸商問屋躰之取斗諸事手広ニ仕、 (改頁) 72
下条
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
一上川路村より享保3戌年に願い出たのは、上川路村は伊豆木・
下条
辺などへ行く時、いろいろな人々が通行し、,ところが近年駄卸商問屋風の取り扱いを手広にし、
下条
・遠山辺より城下町へ出す品々を買い留め、駄卸は勿論のこと
上田の早苗
([翻刻])
長盛平岩七之介親吉柴田七九郎重政其外保科弾正忠正久屋代越中 守政信三枝平右衛門守勝曽根内匠助等並諏訪安芸守
下条
知久遠山大
松本藩庄内組大庄屋御用留
([翻刻])
藤井佐左衛門 七月廿四日 御道見分 御塚前之道より 山辺御殿迄
下條
徳太夫
松本藩庄内組大庄屋御用留
([現代訳])
折井伴右衛門・金井源左衛門・藤井佐左衛門、 七月二十四日 御道見分、御塚前の道より山辺御殿まで、
下條
徳太夫
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