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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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浅間焼覚帳 ([解説])

本書の著者は、表紙に「小諸与良町 与良与兵衛」と記されていることから、与良町に住んでいた与良兵衛と分かるが,ちなみに与良町は、市町・本町とともに、小諸三町と称される、小諸藩の城下町を構成する町である。,八満宿七兵衛」が願い出たと記されていることから、この川は濁り川ではなく蛇堀川で、橋は蛇堀橋(与良大橋・与良町橋,著者が与良町の住人だとすると、江戸から北国街道をやってきて蛇堀橋を渡ると与良町になる、その入口の橋が架
小諸洪水流失改帳 ([現代訳])

「寛保二壬戌年八月朔日」   与良右兵衛筆記   『小諸洪水流失改帳の写』         (与良町,28日は大雨、29日は夜9時すぎから雨が降りだし、法圓房沢の所どころが崩れ、濁り川(蛇堀川)が氾濫し、与良町大橋
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([現代訳])

すると与良町大橋へ泥流が押し寄せたと、茶屋からしらせてきました。,しかし、当町(与良町)では、民家は無事で、人馬にも怪我はありませんでした。,市町伊兵衛・本町久右衛門・与良町藤吉はご機嫌伺いに行きました。,与良町分の腰巻からご覧になり、二日の晩は新町藤右衛門の所へ宿泊されました。,また、旅籠屋も市町だけではたりないので与良町・新町が旅籠屋を開いてよいと言われましたが、与良町では長期間
小諸洪水流失改帳 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,これは与良町庄屋の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年大洪水余禄 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,これは与良町庄屋の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
小諸大変書 ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,これは与良町庄屋の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(1) ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,これは与良町庄屋の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([解説])

追分側からいうと、蛇堀川を渡った最初の町が与良町、次が本町、次が市町で(この三町は、小諸三町とも呼ばれる,)、これに与良町と本町との間に新たにつくられた荒町を加えると四町になる。,これは与良町庄屋の藤吉(小山隆司氏の先祖)が記したものと考えられるが、見分役人を案内した際に、見分役人
寛保二年小諸大洪水変地絵図(2) ([翻刻])

寛保二壬戌年七月小廿九日夜之九ツ時より雨降出し、無止事降続キ、翌八月朔日朝五ツ時  浅間山夥敷鳴ル、然所ニ与良町大橋江水出候,                                                  与良町藤吉罷越候,者川上梓山江御出、千曲川通御普請被仰付、三月廿九日大田部村昼御休  被成候、市町伊兵衛、本町久右衛門、与良町藤吉御機嫌御伺,より札立申候ニ付、成瀬番左衛門様へ藤吉・兵七伺公(候カ)仕申上候者、昨十七日ニ  市町・与良町・新町共,新町へ被仰付候、旅籠屋ハ御城下ニ而市町計ニ而成兼候付、  旅籠屋者与良新町共ニ勝手次第之事ニ候へ共、与良町
寛保二年大洪水余禄 ([現代訳])

土石流は与良町の南のくりや川と乙女川ヘ流れ込み、田地を押し流し大きな被害を与えた。
パスファインダー (北国街道小諸宿)

宿場の機能は市町と本町で、与良町・荒 町・本町には穀問屋や塩問屋などがあり、この地方の商業の中心地で
小諸洪水流失改帳 ([翻刻])

  一 寛保二壬戌七月廿八日大雨、翌廿九日夜五ツ半過ヨリ雨降リ、法圓房沢山所々崩レ、濁リ川江押出シ、与良町大橋流失
浅間焼覚帳 ([現代訳])

その後小諸領へ入り、(与良町の)小原の助四郎、柏木村喜太夫・新五郎を打ちつぶした。,小諸藩牧野遠江守様の番頭・奉行・代官・大目付・足軽をはじめとする役人たちが、小諸藩の城下町への入口である与良町木戸口
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (小諸町)

市町村名 現在(令和2年):小諸市(こもろし) 明治初期:小諸町(こもろまち) 幕末から明治初期:与良町
小諸繁昌記 ([解説])

第二節 商家案内  一、与良町(一四軒の商家)煙草、紙、酒、漆器、足袋などの店と鍛冶工場が  二、
浅間焼覚帳 ([翻刻])

ちう馬おい也、是ニ付  小諸牧野遠近(江)守様番頭・御奉行・御代官・  大目附・御足かる始とて、与良町
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