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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊野村)
1巻 p332に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 外土浮/内土浮/沖/下神代/下
伊豆
毛,/中尾/上神代/上
伊豆
毛/小瀬/泉平/大久保/東宇山/西宇山/鍋山/一里塚/堤/押久保/笹山/泥ノ木/,/新引溝 橋: 大道橋/日影橋/川谷橋/泥ノ木橋/小橋ノ三ツ橋/油沢橋/前宮橋/大門橋/横町橋/
伊豆
毛橋,: 北国街道/北国谷街道/北国脇街道/北国脇往還/永江往還/番匠往還/川谷往還/中峯道 社:
伊豆
毛神社,学校: 神代学校 古跡・名勝: 油沢山正行寺廃寺/大日堂廃堂/窟屋堂/観音堂廃堂/釈迦堂廃堂/
伊豆
毛神社旧社地墟
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(柴村)
道路: 長野道 社: 柴神社/皇大神社(こうたいじんじゃ) 寺: 山本勘助晴幸墓/真田
伊豆
守信之墓,/大鋒寺(だいほうじ)/阿弥陀堂 学校: 重陰学校 古跡・名勝: 真田
伊豆
守信之墓 物産1:
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(三綱村)
令和2年):飯田市(いいだし) 明治初期:三綱村(みつなむら)(みつなむら) 幕末から明治初期:
伊豆
木村,しもせむら 『長野県町村誌』 3巻 p3671に掲載 該当ページを見る キーワード 字地:
伊豆
木
秀吉と真田
(伏見城普請)
信幸はこの文禄二年九月、秀吉の命により従五位下(じゅごいのげ)
伊豆
守に叙任されていた(寛政重修諸家譜ほか,そのため、宛名も「源三郎」から「
伊豆
守」に変っている。,(石田治部少輔)三成(花押) 徳善(前田徳善院) 玄以(花押) 真田
伊豆
守殿, 為長(花押) 石尾与兵衛 治一(花押) 真房州様 真
伊豆
様
拾八町家並帳
(桜町壱丁目)
五間 堤屋 佐兵衛扣 五間 ホ 三原屋 六兵衛扣 ホ 五間 福岡屋 彦四郎扣 五間
伊豆
木屋
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(芋川村)
/塩之入橋/坂下橋/城之入橋/町浦橋/宮坂橋/京洛橋/細入橋/滝之入橋/西之入橋/白土橋/井之口橋/
伊豆
,弥次郎兼定/内山/神明森/八幡森/一口林/摩虫小場/烏帽子嶽/涌井平(わくいひら)/葉知加美/浦子沢/
伊豆
秀吉と真田
(徳川秀忠軍の上田攻め)
「真田信幸宛徳川家康書状」 真田宝物館蔵 慶長五年(一六〇〇)八月二十一日 真田信幸(
伊豆
守,八月二十一日 家康(花押) 真田
伊豆
守殿 真田信幸宛徳川秀忠書状 <史料解説,八月二十三日 秀忠(花押) 真田
伊豆
守殿 宇喜多秀家等宛上杉景勝書状 <史料解説,九月朔日 家康(花押) 真田
伊豆
守殿 真田父子上田籠城図 <史料解説> 真田父子上田籠城図
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(旦開村)
売木川(うるぎがわ)/波合川(なみあいがわ)/大滝 道路: 下條街道 社: 熊野社/諏訪社/
伊豆
社
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(鳴瀬村)
下堰/常木堰/川下堰 橋: 鳴瀬橋/藤ノ木橋 道路: 長野往還/甲州往還/富岡往還 社:
伊豆
筥根
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(寒沢村)
ようさん) 民業女: 農(のう)/養蚕(ようさん)/生糸(きいと) その他特記ワード: 高梨
伊豆
守
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
○三島 ○八幡 ○鹿島 ○春日 ○熊野 以上本社の左に並ふ、] 右玉垣の内なり、[○稲荷 ○
伊豆
権現
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(戸狩村)
民業男: 農桑(のうそう) 民業女: 農(のう)/養蚕(ようさん) その他特記ワード: 高梨
伊豆
守
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(豊田村)
古城/堀貫(ほりぬき)/焼峰/二ノ胴/繋平/桜沢/大蛇/旧田/蛭橋/十王堂/大箒/涌井/音金/李平/
伊豆
木原
秀吉と真田
(昌幸死去の悔み状)
<訓読> 「真田
伊豆
守様御報
秀吉と真田
(真田氏の動静)
三月十三日 昌幸(花押)
伊豆
守殿参 安房守
秀吉と真田
(豊臣氏関係遺品)
極月二十七日 (黒印)(豊臣秀頼) 真田
伊豆
守とのへ 協力者
秀吉と真田
(東西に分かれた真田父子)
七月二十四日 家康(花押) 真田
伊豆
守殿 真田信幸宛徳川家康安堵状 <史料解説,慶長五年七月二十七日 家康(花押) 真田
伊豆
守殿
善光寺道名所図会
(○安曇 池田)
稲荷・
伊豆
権現・子安・白山・九頭竜・天満宮・南宮・疱瘡神、以上は二ノ鳥居内にあります。
上田の早苗
([翻刻])
ヲ御出立アリ、同四日信州小諸ノ城へ御着陣アリテ本多美濃守忠政[中務太輔忠勝ノ男子
伊豆
守信幸,カ甥ナリ] 并真田
伊豆
守信幸ノ両人ヲ以テ上田城へ被遣和睦ノ扱アリ、[和睦トハ天正十三年来不和ナリシ故,; (改頁) 9 本多佐渡守大久保相模守牧野右馬允本多美濃守真田
伊豆
守石川玄蕃頭,天下ノ勢ヲ敵ニ引請討死セント覚悟シテ、玉薬ヲ用意シ兵粮ヲタクハヒ防戦ノ軍 議専ラナリシ所ニ、嫡子
伊豆
守信幸身命, 藤塚トモイフ古墳両三基アリ、孰モ石質同シ物ニテ当国ノ産石ナラス、必他 国ノ石ナリ、世ニ云フ
伊豆
石
秀吉と真田
(三成ほか西軍諸将よりの書状)
一豆州(
伊豆
守信幸)・左衛門尉(幸村)殿、別紙を以って申し入るべく候と雖も、貴殿御心得候て仰せ達せらるべく,
伊豆
殿(信幸)女中改め候間、去年くだり候時、左衛門佐(幸村)方へくやみ候様子までを証跡に申し別儀無く候,「房州」は安房守昌幸、「豆州」は
伊豆
守信幸、「左衛門介」は幸村(信繁)。
秀吉と真田
(小田原出陣)
> 「真田昌幸宛豊臣秀吉書状」 真田宝物館蔵 天正十八年(一五九〇)四月十日 秀吉は
伊豆
箱根下
養蚕往来
([翻刻])
(改頁) 加賀きぬ奥しう ふくしまのかるぎぬ 結城つむぎあをめ じま
伊豆
八丈縞
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
の一門驕奢にして 天下の政道猥なれバ、源氏の一族所々に蜂起し、治承四年前右兵衛佐 源頼朝
伊豆
国
善光寺道名所図会
(○別所温泉)
治承4年、源頼朝が
伊豆
で挙兵しました。
信州飯田町家控
([翻刻])
坂西公へ本領無相違賜て御帰城 一天正十年織田平信忠公甲州為御追討、下條口 より御打入之時、下條
伊豆
守殿御父子,城之御天守御普請ニ付而信州之諸大名へ材木 御用被仰付、小笠原兵部太夫様石川玄蕃様 保科弾正忠様真田
伊豆
守様下伊奈郡遠山
寺子屋入門記録「壱番入門記録」
([翻刻・注記])
一 当亥拾弐歳 田巻新次郎 爪印 同断 同断 一 当亥拾歳 田巻綱次郎 爪印 五月二日
伊豆
木村医師窪田玄仙老息子
信州飯田町家控
([現代訳])
下条
伊豆
守殿父子は浪合を固め、下條は家老下条九兵衛殿が守っていました。,小笠原兵部太夫様・石川玄蕃様・保科弾正忠様・真田
伊豆
守様は、下伊那郡遠山より長さ17間(30m)余の良木
(株)第十九銀行と諏訪製糸業
([ルビ・注記])
印刷所 細川活版所 東京市京橋区鎗屋町九番地 (注1)
伊豆
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
建久六年五月十五日中尊を 鋳成し、同く六月二十八日に二菩薩を鋳けるとなん、これ三尊 別躯のはじめか、又画像ハ
伊豆
国走湯山
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([翻刻])
源頼朝
伊豆
国に義兵を揚げ、驕れる平氏を討んと て相州石橋山大合戦に敗北し、纔に主従七騎に討なされ、
二十四輩順拝図会 巻之五 信濃之部・上野之部
([現代訳])
源頼朝が
伊豆
国で挙兵し、驕れる平家を討とうとして相州石橋山大合戦に敗北し、わずかに主従7騎となって、土肥
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
また画像は
伊豆
国走湯山(そうとうざん)の僧、浄蓮上人が承久3年(1221)の春、お告げによって戸を開き
御城下古法并市場古法書抜書集
([翻刻])
被下置候 (改頁) 33 一上川路村より享保三戌年願出候者、上川路村之義者
伊豆
木
御城下古法并市場古法書抜書集
([現代訳])
一上川路村より享保3戌年に願い出たのは、上川路村は
伊豆
木・下条辺などへ行く時、いろいろな人々が通行し、
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
伊豆
木村(注5)ノ小笠原等是ナリ。各土地奉還(ほうかん)シテ。帰農 ニナリタリ。
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