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別所温泉誌
(《温泉の沿革及び考証》)
さらに、筑摩郡や
伊那郡
、高井郡などにも「七久里」と呼ばれる湯があるが、「此別所温泉を當国七久里の温泉なりと
信濃国村名尽
([解説])
慶応四年(1868)八月二日、信濃国には県庁を
伊那郡
飯島に置いた伊那県が生まれました。,伊那県の管轄区域は、はじめ
伊那郡
の三十六カ村に限られていましたが、明治元年(1868)から二年にかけて
犀川を下る記
(おわりに)
松本市 平成7年) ※「松本市史」第2巻歴史編 Ⅲ近代(松本市 平成7年) ※「下伊那史」第8巻(下
伊那郡
教育会
寺子屋師匠の日記
(概要)
「当家初代好古堂芝産一代記 全 小沢和徳誌焉」[目録] 元長野県立歴史館 青木隆幸 小沢家は
伊那郡
小野村,(現上
伊那郡
辰野町)で近世半ばから明治初まで3代にわたり手習師匠を務めた家である。
パスファインダー
(飯田・下伊那の満蒙開拓移民)
満洲移民の村 -信州泰阜村の昭和史ー 小林弘二/著 筑摩書房 1977.5 内容紹介 下
伊那郡
,満洲移民 齋藤俊江/著 飯田市歴史研究所年報15 2017 15-139~157 松島自由移民送出と下
伊那郡
町村長会,満洲移民の戦後史 -長野県飯田下伊那地域と事例ー 島崎友美/著 信濃 2013,3 3-1~24 下
伊那郡
町村長会
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(飯田町)
1-4 目録を見る 変遷図 変遷図を見る 市町村史誌目次情報DB 飯田町史/長野県下
伊那郡
パスファインダー
(飯田・下伊那の蚕糸業)
飯田市の養蚕建築についてその特徴を図・写真を用いてまとめている 明治期一養蚕農民の村落生活 -下
伊那郡
喬木村宇佐美家,/著 伊那 2004 5-3~14、7-3~13、9-11~21 昭和恐慌下の地域養蚕組織ー長野県下
伊那郡
山吹村北駒場集落
木曾山林学校
(1.木曽ノ天然)
1.木 曽 ノ 天 然 抑々(そもそも)木曽の地たる信濃国の西南隅に位し、東は上下
伊那郡
,に接し、西は濃飛両国に隣り、南は下
伊那郡
及恵那山に拠(より)て美濃国に連り、北は東筑摩・南安曇の2郡及飛騨国,駒ヶ岳は
伊那郡
に接して東南に峙(そばだ)ち高さ8千尺、御嶽と相対峙して所謂(いわゆる)木曽の峡谷を形成
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(木祖村)
/土橋/大川端/栗谷橋/川原橋/八坂橋/小林橋/下村橋/ウケ場橋 道路: 中山道/支道飛州往還/
伊那郡
宿継要書留
([解説])
②元禄7(1694)年 中馬追いと伊那街道16宿との争論の裁許書 ③宝永3(1706)年
伊那郡
中馬,宝永3(1706)年筑摩郡の中馬が
伊那郡
の中馬を訴えるということがありました。,
伊那郡
の中馬は、筑摩郡の中馬を新馬と呼び、自らの優位性を主張したが、裁許により同じように自由にできることになりました
『説諭要略』巻一
([ルビ・注記])
第十五回 16 筑摩県管内
伊那郡
。赤須村(注1)戸長(戸長)北沢八郎。,第三十二回 30 権令
伊那郡
。山本村(注1)へ到リ。其泊所へ。,(3)現下
伊那郡
阿智村。 (4)天子などが自らその場に臨むこと。,(2)現下
伊那郡
高森町。 (3)現下
伊那郡
飯田市。 (4)現下
伊那郡
喬木村。,(4)現上
伊那郡
中川村。 (5)現上
伊那郡
中川村。 (6)大将の家柄。
パスファインダー
(佐久市跡部の踊り念仏2)
南無阿弥陀仏 和讃 鉦 太鼓 跡部踊り念仏保存会 国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文 化遺産 風流踊り 下
伊那郡
阿南町,佐久市の「跡部の踊り念仏」 や下
伊那郡
阿南町の「和合の念仏踊り」を含む23都府県の37件で構成 されている
『説諭要略』巻一
([解説])
永山権令は七年三月二十二日から六〇日間の日程で諏訪・
伊那郡
、八年八月三十一日から十一月にかけて安曇・筑摩郡,諏訪・
伊那郡
下二三〇校の説諭巡回には、高遠藩出身で学務掛の長尾無墨、師範講習所教員飯田正宣、同予科生徒四人
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図
(長谷村)
大東林/唐松林/揚盧木峯林/峯林/雑木林 明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵) 長谷村(図) (
伊那郡
一村限明細絵図
秀吉と真田
(沼田領の分割裁定)
この替え地については信州
伊那郡
で与えられており、天正十七年十一月に信幸が上伊那箕輪の地を家臣に給した宛行状
伊那県布令書
([解説])
伊那県の県庁は、
伊那郡
飯島の旧陣屋に置き、北小路俊昌を知事に任命しました。
パスファインダー
(信濃の東歌・防人歌)
ふましむな沓履けわが 背」の秀歌で始まり、「浅間景物」「更級景物」「諏訪」「御射山」「穂屋」と 続き、「
伊那郡
パスファインダー
(宗良親王と信濃)
後醍醐天皇 尊澄法親王 南北朝 征東将軍 信濃宮 上野親王 足利 尊氏 高師泰 足利義詮 井伊城
伊那郡
大河原
パスファインダー
(江戸時代信州飯田町の火災)
長野県市町村史誌等目次情報データベース http://misuzu-mokuji.net/ 長野県下
伊那郡
戸隠善光寺往来
([現代訳])
推古天皇10年、
伊那郡
麻績里(おみのさと)宇沼村に寺を建てたのが始まりで、その後皇極天皇元年、仏のお告
パスファインダー
(善光寺縁起)
善佐 弥生 日本 書紀 物部氏 物部尾輿 物部守屋 蘇我氏 蘇我稲目 蘇我馬子 聖 徳太子 麻績
伊那郡
パスファインダー
(柴崎虎五郎)
機業講習会、染織講習会、信濃染織同志会、長野師範学校、 丸子、西陣、桐生、足利、小県郡丸子学校長、上
伊那郡
赤穂尋常高等
パスファインダー
(信州の通船(川の道))
下伊那史[第8巻]:江戸中期、後期 下
伊那郡
教育会/編 下伊那教育会 2006.3 信濃の風土と歴史
パスファインダー
(信州飯田・下伊那の百姓一揆・騒動)
南山一揆(1)~(3) 平沢清人/著 伊那 1963 2-1~7,3-3~7、4-1~3 養蚕業の発展と
伊那郡
飯田町
パスファインダー
(警廃事件)
内容紹介 警廃事件に関して ・岩村田警察署廃止反対町民大会決議報道記事 ・警察署等廃合につき県宛上
伊那郡
町村長会陳情書
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳
([解説])
類例としては昭和36年(1961年)の「36災害」の際、長野県下
伊那郡
大鹿村大西山で発生した山体崩壊や
秀吉と真田
(家康の命令による上田築城の開始)
家康は、三月には「佐久小県の逆心」の徒の討伐のためとして、昌幸に近く出馬する旨を伝えるとともに、南信濃
伊那郡
パスファインダー
(信州の民話・伝説)
6 書名 著者名 出版社 出版年 信濃奇勝禄:筑摩郡:安曇郡水内郡:佐久郡小県郡:諏訪郡
伊那郡
パスファインダー
(時報)
県内では14郡中上田・小県郡をトップに、ついで上
伊那郡
と続く。
伊那繁昌記
([解説])
発行兼編集人は、長野県下
伊那郡
上郷村の吉川源美と同鼎村の志田啓太郎となっています。
信州飯田町家控
([現代訳])
[現代訳] 信州飯田城下町屋の覚え 一信濃国下
伊那郡
郊戸庄飯田郷六本杉長姫城は、下伊那の一城で、一里東,文禄2年より京極修理大夫源高知公が知行されましたが、高120000石の内
伊那郡
は高800000石で、木曽妻籠,小笠原兵部太夫様・石川玄蕃様・保科弾正忠様・真田伊豆守様は、下
伊那郡
遠山より長さ17間(30m)余の良木,それは、城廻り46ケ村で、北は赤須(駒ケ根市)東は供野(下
伊那郡
豊丘村)南は下瀬(飯田市下瀬)までです,一下條領28ケ村は3700石余、月原より南は三州境新野村迄 一上伊那箕輪領23ケ村は10000石、
伊那郡
分惣高合
分県之建白
(分県之建白[全文])
三十四年五ケ月 下
伊那郡
神稲村三百九拾七番地
信州飯田町家控
([翻刻])
改頁) (改頁) 2 信州飯田城下町屋覚 一信濃国下
伊那郡
郊戸庄飯田郷六本杉長姫城下,御軍功有御帰陣乃時於途中ニ 御病死 文禄二巳年より京極修理大夫源高知公御知行高 拾弐万石
伊那郡
高八万石并木曽妻籠添生,一慶長六丑年より小笠原兵部大輔源秀政公 御知行高五万石、此秀政公下総石古河より御移り 下
伊那郡
五万石, 新野村迄 一上伊奈箕輪領ニ十三ケ村此高壱万石 (改頁)
伊那郡
分惣高合五万石也
分県之建白
(分県の建白)
東筑摩郡松本町 小里頼永 34歳5か月 下
伊那郡
神稲村
宿継要書留
([現代訳])
伊奈街道の村井より根羽迄16宿と中馬の争論の覚 一寛文13(1673)丑年5月、
伊那郡
中馬方惣代の宮木村,今回
伊那郡
の4か村が惣代をもって伺い出たことについて一通り考えてみたところ、甲年 の中馬御裁許については,一同国
伊那郡
松島村・北殿村・宮木村が答えたことは、宝永3戌年中馬方出入りがあり、その時御裁許を守っていました,去年中
伊那郡
大島・片桐・飯島・赤須4か町よりお伺書出をだしたことについて、道中御奉行安藤弾正少弼様より,明和7年寅10月 嶋隼人御代官所
伊那郡
飯島 問屋
宿継要書留
([翻刻])
伊奈海道村井より根羽迄 十六宿中馬争論之覚 一寛文十三丑年五月
伊那郡
中馬方, 飯田拾三丁より江戸御奉行所へ之親書左之通 乍恐以追訴奉申上候 一堀大和守領分信州
伊那郡
飯田町十三町,納百姓致相続、中仙道助郷役茂勤来り 候間、中馬荷物付送り并付替不相障候様 致度旨申上之候 一同国
伊那郡
松島村, 132 一筆致啓上候、追而寒気ニ罷成弥以 各様無御故障被成、御勤奉珍重候、 然者去年中
伊那郡
大島,願之通被仰付 被下度候様奉願上候以上 明和七年寅十月 嶋隼人御代官所
伊那郡
飯島問屋
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
此上に如来を安置し奉りて、 親子三人倶に朝夕恭敬し、心ばかりの供養をなし奉りける、 如来当国にて
伊那郡
善光寺道名所図会
(○水内 善光寺)
如来が当国の
伊那郡
におられたのは、41年の間である。
長野県師範学校生徒修学旅行概況
(長野県師範学校生徒修学旅行概況[全文])
兼て下
伊那郡
衙に依頼し、会社に船五艘を準備せしむ。
寺子屋師匠の日記
(寺子屋師匠の日記「当家初代好古堂芝産(注1)一代記 全 小沢和徳誌焉」)
2 「当家初代 好古堂芝産一代記 全 小沢和徳誌焉」 (上
伊那郡
辰野町
地震後世俗語之種
([現代訳])
今でいう
伊那郡
座光寺(元善光寺)がこれです。
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