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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ
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秀吉と真田
(伏見城普請)
伏見城普請
「秀吉と真田」の目次はこちら 秀吉は天正十九年(一五九一)甥の秀次を関白に就任させ、,この
伏見城普請
には、朝鮮へ渡海しなかった東国大名が主に動員されており、真田父子も普請役を割り当てられている,真田宝物館蔵 文禄二年(一五九三)十二月十七日 秀吉の奉行長束(なつか)正家等が京都郊外の
伏見城普請
,信幸・幸村宛佐久間甚四郎等連署状 真田宝物館蔵 文禄三年(一五九四)一月十八日 これも
伏見城普請
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伏見城普請
秀吉と真田
(真田氏上田領・沼田領の石高)
そのため軍役量、具体的には朝鮮の役、
伏見城普請
等への動員の負担が軽くてすんだとも言える。
秀吉と真田
(上田城の大改修)
また、これには、
伏見城普請
への参加の経験や、やはり秀吉の城であった大坂城、聚楽第などでの見聞も当然あずかっていたこととみられる
秀吉と真田
(家康の関東移封と真田昌幸・信幸)
しかし、信幸についても、これ以後は父昌幸と同様、秀吉の直臣扱いとしたことは、その後の
伏見城普請
への動員
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