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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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拾八町家並帳 (傳馬町弐丁目)

傳馬町弐丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向 / 傳馬町弐丁目
拾八町家並帳 (傳馬町壱丁目)

傳馬町壱丁目 クリックすると原本の画像が開きます クリックすると翻刻図の画像が開きます (文字の向 / 傳馬町壱丁目
御城下古法并市場古法書抜書集 ([翻刻])

一□…□五月十日      十三町肴商人肴買入方之事 【(朱書)十】 一□…□五子年       伝馬町,らせ不申候発之覚 一拾三町塩商賣連々致衰微候ニ付、当春寄合内談  致候訳者、伝馬町伝馬町筋近年塩店多罷成穀,らせ申間敷分ニ申合  候事 一伝馬町より右之申合故塩調候儀不罷成候ニ付、当五月     (改頁, 届不被遊候段御意被遊候事    塩之義伝馬町より申上候者、市場ニても馬問屋ニ而も買分    ,、余り  塩預らセ呉候様ニ申候得而、伝馬町筋江売申候儀相止申候、 一唯今馬問屋共申上候通、伝馬町筋江塩売候儀相止
信州飯田町家控 ([翻刻])

此時城外曲輪ニ     (改頁)    惣堀を構へら連、所々ニ木戸塀之番屋を建ら連、町家  段々出来伝馬町, 割知久町三丁目を建継、此所ニ鍛居初候故鍛治町と号ス  御家中小路も此時代より段々出来、御城下伝馬町迄,・弐丁目、古ハ名残町といふ、江戸へ出口御伝馬  宿故、正保二酉年九月十八日被仰付、伝馬町と改め唱へ,    (改頁)    申候、地子米御免枡形桜町之木戸際迄伝馬町分、  則伝馬町之問屋与三左衛門相勤申候,ニて人足出し来り候事 一野底橋掛人足伝馬町桜町為役ニ而人足出し来候事 一町屋辻番所御城下ニ十五ケ所
御城下古法并市場古法書抜書集 ([現代訳])

享保5年6月塩のことについて伝馬町と争いがあった。,伝馬町へ売った。,伝馬町の者が言うには、かつて伝馬町へも塩と肴の荷物が市廻りにて付けて来たが、、もともと貧しい町なので市場,、そのほか伝馬町水頭4人、平町人筵の上に詰めていた。,塩は問屋場で売るようにし、今後は伝馬町へ売ることは禁止である。
信州飯田町家控 ([現代訳])

だから伝馬町迄曲輪・惣堀の内です。,伝馬町1丁目・2丁目は、かつては名残町といいました。,地子米は免除され、枡形の桜町の木戸際迄伝馬町の分になっています。伝馬町の問屋与三左衛門が勤めます。,一伝馬町の先の枡形も、桜町木戸際の溝迄伝馬町の役で、掃除をしています。  ,伝馬町が言うには、昔は伝馬町へも塩・肴の荷物が市廻りで付けられてきた。
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (飯田町)

番匠町/池田町/田町/松尾町/荒町/大横町/殿町/梅南小路/常盤町/追手町/主税町/北主税町/愛宕町/伝馬町
桜田門外之変速報 ([翻刻])

      内   五人     即死   三人     脇坂江欠込     此分町奉行へ御引渡伝馬町江可被遣候処
拾八町家並帳 ([解説])

伝馬町1~2丁目・桜町1~3丁目の5町は、飯田町から伊那街道へ出て行く道筋にあり、伝馬宿の役割を果たしていました,さらに伝馬町では寺への通路も描かれています。  
御城下古法并市場古法書抜書集 ([解説])

伝馬町として成立した伝馬町・桜町の5町は、次第に人馬の通行が活発になるにつれて、様々な必要に対応した商売
桜田門外之変速報 ([現代訳])

    5人は 即死     3人は 脇坂家へ駆け込む         この者たちは町奉行へ引き渡し、伝馬町
宿継要書留 ([解説])

飯田町の内5町(伝馬町1~2丁目・桜町1~3丁目)の問屋(町役人の職)を勤めた大原氏の記録帳であることがわかります,そして脇坂氏の治世になって、宿駅制度が完備しました、正保2(1645)年に名残町を伝馬町と改称し、伝馬役
寺子屋入門記録「壱番入門記録」 ([翻刻・注記])

  知久町三丁目 十二月二十九日 黒田屋庄左衛門殿息子 一 当酉九歳 松下熊三郎  爪印   伝馬町二丁目,  爪印   同断 正月二十一日 綿屋隠居息子 一 当戌八歳 樋口友次郎  爪印 (改頁) 伝馬町壱丁目,      16 同断 本町三丁目吉田屋新之助殿息子 一 当亥拾三歳     算術 中塚幸三郎   同断 伝馬町壱丁目奈屋泰助殿息女,福沢喜代太郎 爪印   同断 上飯田村近藤与右衛門殿息子 一 当寅九歳 桐林直作   爪印   同二十六日 伝馬町吉岡屋治兵衛殿息子
宿継要書留 ([翻刻])

、万事存  可罷在事 一町年寄問屋庄屋諸事  申談、万端内々ニ而相済候  様可相心得事 一伝馬町,          桜町中     (改頁)       定 一木曽路江御用御荷物相送り候  節、伝馬町,   八拾五軒    桜町 一人別千四百九人    此訳   内六百六拾人   傳馬町    ,  男    三百五拾三人  女    壱人      山伏 一馬拾疋   内馬壱疋     傳馬町, 庄屋  新兵衛       同桜町  庄屋  三郎右衛門       同傳馬町 組頭  利兵衛
宿継要書留 ([現代訳])

   印               桜町中       定め 一木曽路へ御用の荷物を送る時、伝馬町,   85軒    桜町 一人別1409人    此訳   内660人   伝馬町   330人,一飯田町は伝馬町・桜町に問屋を立て、御武家様方御通行の人足継立をしてきました。,これによって伝馬町の者たちは、どのように心得るかとお尋ねがありました。,同  弐丁目    御奉行所様   右願書は伝馬町で一紙、桜町1丁目・2丁目で一紙、3丁目で一紙
絵本東名物鹿子 二 ([翻刻])

            白鳳雪岑(印) 海棠や むすめゆかしき 籠づくり     白主 (注)亀井町 小伝馬町三丁目,享保二十年版『続江戸砂子』に、「○亀井町籠、小伝馬町の北の通り亀井町にてこれを作ル、笊・味噌漉・ひげご・
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