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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (根々井村)

ページを見る キーワード 字地: 南原/原/十文字/大原/北原/十三方/山神/南十三方/馬乗石/供養塚,/北供養塚/西供養塚/南辰ノ口/芝宮/赤石/赤石川原/橋向/向田/辰ノ口/東辰ノ口/東向田/寺畑/塚田
松代まちあるきマップ (30真田山長国寺)

;  真田山長国寺 長国寺 長国寺 長国寺真田家墓所 長国寺幸村大助供養塔,墓所には真田家歴代の墓碑、真田幸村・大助親子の供養塔、戦国真田三代(幸隆、昌幸、信綱)の供養塔などが並
寛保二年八月上畑村水災救恤願 ([解説])

そして五〇年目の寛政三年(一七九一年)には、境内に流死者などの供養塔を建てた。,その後も境内には、年忌ごとに供養塔などが建てられている。,上畑では現在も住民による「戌の満水」による被災者の供養が続けられている。
寛保二年九月上畑村水災につき当立毛御見捨願 ([解説])

そして五〇年目の寛政三年(一七九一年)には、境内に流死者などの供養塔を建てた。,その後も境内には、年忌ごとに供養塔などが建てられている。,上畑では現在も住民による「戌の満水」による被災者の供養が続けられている。
寛保二年十月上畑村総百姓往還道・屋敷移転取極証文 ([解説])

そして五〇年目の寛政三年(一七九一年)には、境内に流死者などの供養塔を建てた。,その後も境内には、年忌ごとに供養塔などが建てられている。,上畑では現在も住民による「戌の満水」による被災者の供養が続けられている。
パスファインダー (女流の信仰物語、善光寺への女旅日記)

遊女千手(せんじゅ)前 虎御前の参詣 熊谷蓮生坊と玉鶴姫 東路日 記 小田宅子 沓掛なか子 佐藤兄弟母供養塔,出版社 出版年 信州善光寺案内 善光寺事務局/監修 しなのき書房 2009.4 佐藤兄弟母供養塔,わりとなった佐藤継信・忠信兄弟没後、文 内容紹介 治3年(1187)10月に兄弟の母梅唇尼が参詣して、供養
パスファインダー (善光寺の火災と復興)

日-善光寺再興を 命ずる源頼朝下文 『吾妻鏡』11巻[曼荼羅供](建久2年1191)・31巻[五重塔供養,](嘉禎3年 1237)・37巻[堂供養](寛元4年1246)・43巻[修造供養](建長5年1253)
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (新子田村)

境内/氏神/東田/前田/立石/越蒔/霞川/ガウド/ウトフ坂/神明木/四ツ塚/岩下/家ノ前/丑ケ久保/供養塚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (岩井村)

長野県町村誌』 1巻 p1048に掲載 該当ページを見る キーワード 字地: 西川原(にしかわら)/供養塚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (中松村)

字地: 西畑(にしはた)/古宮(ふるみや)/西側屋敷(にしかわやしき)/雁田境(かりたさかい)/供養塚
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (三岳村)

/壱ヶ峯林/藤掛林/家の奥より小奥沢迄/竹ヶ沢林/岩沢林/嵐林/李洞林/合渡沢林/漆久保林/根古林/供養堂林
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (発地村)

向村/腰巻/石尊道/上板取/板取/西尾高根/土井口/欠羽/大石/箕輪/風越/横道/鼠原/下土井/坂下/供養塚
パスファインダー (「戌の満水」(寛保2年の洪水)による小諸の被害)

信濃毎日新聞社・朝刊1ページ 2015.8.1 灯篭流し 信濃毎日新聞社・朝刊25ページ 2011.8.3 供養塔建立
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

急ぎ内に入て、件の旨 を上奏しければ、竜王聞たまひ、左あらハ是へとて、南殿に請じ て、様/゛\の供養,の月を詠 奉らん、娑婆の別を飜し、浄土の再会の縁となさしめ給へとて、 自ら御衣の瓔珞を採て如来に供養,、夫吾朝は伊 弉諾・伊弉冊の尊より、一氏も異姓を混ぜず、皆々正しき苗裔なり、 然るに異国の人形を供養,申さる、其時如来水面に現じ、光明耀きけれ バ、急ぎ此よし奏聞して、やがて内裏に請じ入、さま/゛\の供養,の内に清き物とてハ臼より外なけれバ、此上に如来を安置し奉りて、 親子三人倶に朝夕恭敬し、心ばかりの供養
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([解説])

正福寺境内の入り口には現在も「千人塚」と呼ばれる戌の満水による流死者埋葬塚に供養塔が建っています。
寛保二壬戌年金井村戌出水万覚留帳 ([解説])

この祭りは「戌の満水」の流死者の霊を供養と無病息災を祈る行事と言われる。
パスファインダー (天明3年(1783)の浅間山噴火)

出版年 2013 巻号頁数 (57),102-105 2 論題名 鬼押出しの観光地化と供養祭
はなの ([追善連句])

竹明 小原女(おはらめ)の風をうしろにくれかゝり 一年 紙を舞セてあすの和しれ 路広 鐘の供養声
パスファインダー (草創期の善光寺)

…本国麻績村に下著し、寺を 造りて居え奉り、四十一年の礼拝供養す。」
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

ヶ村、吾妻川添村々の流死人魂魄夜毎に水辺沢々  にて泣声止事なく候故、所々寺院方にて水施餓鬼并堂塔供養
善光寺道名所図会 (○佐久郡小諸)

吾妻川沿いの村々の流死人の魂が夜ごと水辺で泣く声がし、止むことがないので、所々の寺院で水施餓鬼や堂塔供養追善
善光寺独案内 ([現代訳])

この鐘を用いると供養のたびに雨となるので、今の鐘は改造したものであるという。  ,弘化4年3月24日の震災に横死した人の供養に立てた塚である。   金の大仏  山門の下にある。,明暦年間の江戸の大火、八百屋お七の火災の時に、焼死した人の供養のため、吉三郎が出家して、諸国の有志の寄進
浅間山 (第三編 浅間山変異記)

坂東太郎陸となる」の見出しで、流域の被害がくわしく記され「川辺毎夜に泣き叫ぶ幽魂を慰めんとして、寺々施餓鬼供養法事
善光寺独案内 ([翻刻])

是を  用て供養の毎に雨天なりし  故、今の鐘ハ改造したる物なり  しと。,弘化四年の  三月二十四日の震災に横死せし  人の供養に立し塚なり。,明暦年中江戸  大火八百屋お七の火災に、焼死人  の供養の為、吉三郎出家して  諸国の有志を以て
天明三年浅間騒動記 ([翻刻])

云さしも名高き大河一面の泥 水となり、人馬の流死ス、川筋にてひろいあけ、 寺々ニ而施餓鬼大法事の供養川通,大卒都婆(ソトワ)あり、死人ハ川下関宿之辺、其外 江戸近在行徳(ギヨトク)の辺迄夥しく引上、所々ニ供養
烈女百人一首 ([翻刻])

来迎したまふなりけり、法女は宝亀六年四月十七日に年二十九歳にておうじょうしたまふなり、今の当麻寺の練供養, までとこそきけ 【頭注】 宮木は播州室の津の遊君にて容儀勝れしもの也、書写山の性空上人結縁経を供養,門ぜんに捨おきしを、奥正坊といふ僧、拾ひてそだて成人して学にたけ縁覚と名のり都にのぼり嵯峨の大念仏を供養,有ものなるに、此米女は京都岩倉の片ほとりに住て貧きみなし子なるが、七月うら盆にいたり亡父母のために仏供養,を去りまづしきくらしなりしが、亡父母の跡とふべき日のいたりぬれば、実源律師といふ僧をまねき経をよませ供養
善光寺道名所図会 (○水内 善光寺)

水面に現れ、光が輝いたので、急いでそのことを天皇に申し上げて、すぐに如来を内裏にお招きして、さまざまな供養,清浄な物といっては臼以外になかったので、その上に如来を安置して、親子三人一緒に慎み敬い、心をつくして供養,如来を供養した檀家の略系図  (略)  右の檀家の歴代の名は『塩尻』に見えている。
寺子屋師匠の日記 (寺子屋師匠の日記「年内諸事控日記 小沢和徳(注1) 慶応四戊辰年正月吉日」)

夕方雨夜少雪   (○中略)   (改頁)      18   昨十九日夜中辻地蔵尊床バ側 念仏供養塔十王堂傍塔不残
地震後世俗語之種 (絵の解説)

手に数珠や花を持っているのは、見つけた遺体を供養するためでしょう。その人々は袖で鼻を覆っています。
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

流死人魂魄残り迷ひして、川筋沢辺ニて泣声 夜毎/\止事なかりし処に、寺々に至りて飯食 浄水をそゝき施餓鬼供養等追善
豆から日記 ([翻刻])

ほあかか頰白か 徳 最ひと夜寝ばやいきの松原 三 花の顔ひそかに老を見せたりな 老 鐘の供養
地震後世俗語之種 ([翻刻])

柱立宝永三戌年四月十六日 上棟同亥年七月朔日 入仏同八月十三日     供養同八月十五日  其余者別録,これによりてかの見舞の懇志黙しかたく 請置たりし金子弐百匹を、種として霊魂 菩提のため仏事供養せは,改頁)      124   にて苦しからす、遠方よりも和尚たち参るへくあひた、 一飯供養給
むしくら日記 (2巻 亨)

善光寺町は家並大体不残  ゆり倒し、其上焼失致し、大造之即死怪我人  有之、都而往還筋は此節善光寺供養
地震後世俗語之種 ([現代訳])

柱立 宝永3年(1706)戌4月16日 上棟 同亥年(1707)7月1日 入仏 同8月13日  供養,見舞いの気持ちを無視できずいただいてあった金子二百疋がありますので、これを元手に霊魂菩提のための仏事供養
むしくら日記 (2巻 亨)

すべて街道沿いはこの節の善光寺の供養(御開帳)で多くの旅人が泊まり合わせていて、そのため死者も多くありました
贈答百人一首 ([本文、奥付])

菩提所に葬せしより発心し、剃髪なして本所原庭藪の内に住、誓て川辺の水死人を葬し塔婆(たうば)を立、供養
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