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NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

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信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 / 信濃国浅間嶽之記 画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。,『信濃国浅間嶽之記 天明騒動記』より「信濃国浅間嶽之記」 [目録] 信濃国浅間嶽之記 小諸市古文書調査室 / 信濃国浅間嶽之記
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (信濃国浅間嶽之記)

信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 / 信濃国浅間嶽之記 1 天明三年 浅間焼及騒動記 (改頁) 2 信濃国浅間嶽之記 文政九年戌三月写之,(改頁) 3 信濃国浅間嶽之記 近江国(駿河歟)富士山ハ人王七代こうれい(孝霊)天皇之御宇,辛未元年に出現すといふ、 信濃国浅間嶽ハ何れの年煙立ちたるといふ事を しらす、山の霊たる初仏不思儀 / 信濃国浅間嶽之記
信濃国村名尽 ([解説])

信濃国村名尽 / [解説] [目録] 上 [目録] 下 上田歴史研究会 阿部勇  信濃国上田の上野尚志によって明治七年,(1875)一月に著された『信濃國村名盡』は、厚い本ではありませんが、上下二巻に分かれています。,これは、本書が著された明治七年、信濃国が筑摩県と長野県とに分かれていたことに起因するのです。,慶応四年(1868)八月二日、信濃国には県庁を伊那郡飯島に置いた伊那県が生まれました。,『信濃國村名盡』の村名が書かれた上部には第一大区、一小区、二小区などと記されています。
信濃国諳射図記 ([解説])

信濃国諳射図記 / [解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇 『諳射(あんしゃ)信濃國圖記』    『諳射(あんしゃ,)信濃國圖記』は九丁(十八ページ)からなる木版の冊子です。,また、最終ページには「諳射信濃國圖記 終」と書かれているだけで、解説に類する文はありません。  ,中の版は、ほかの学校等に残っている『諳射信濃國圖記』とまったく同じです。    ,『信濃國村名尽』『國勢變革提要 全』『読法略解三字経』『信濃國小縣郡年表』などです。  
分県之建白 (信濃国から二つの県へ)

信濃国から二つの県へ [目録] 松本市文書館 小松芳郎  江戸時代の信濃国(しなののくに)には、,明治元年(1868)8月2日、あちこちにちらばっていたそれまでの信濃国の幕府領を管轄するために伊那県が,伊那県は信濃国の南から北までの領地を管轄しましたから、統一的な支配は困難だったため、3年9月17日に、,この時期の信濃国は、伊那県と「長野県」という二つの県と、松代藩や松本藩などのいくつかの藩からなっていました,廃藩置県の4か月後の11月20日、明治政府の方針によって、信濃国内のすべての県が二つの県に合併されます / 信濃国から二つの県へ
信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 (天明騒動記)

信濃国浅間嶽之記 天明騒動記 / 『信濃国浅間嶽之記 天明騒動記』より「天明騒動記」 [目録] 天明騒動記 小諸市古文書調査室 市川包雄
安曇・筑摩両郡旧俗伝 (3、「信府統記」の構成)

第一諸城記上」は、松本城の開基と城主交替年数並びに諸普請士屋敷割城下の町割と、松本から近国への道筋並びに信濃国中諸城下,の方角道程、領地境等の大略をまとめ、「第二諸城記下」は、信濃国の7藩の城の歴史の概略をまとめています。,第3巻以下第7巻までの5巻は「信濃国郡境記」として、信濃国内の各郡境・知行高・山川・寺社・古戦場をまとめていて,、信濃国全体の近世の地誌概略といってよいでしょう。  ,第30巻「信濃国中名所和歌寄」は、信濃国中の名所と関係和歌をあげ、第31巻、32巻「道程記」には、松本
千曲真砂 ([解題])

)』は、江戸中期の郷土史家・俳人である瀬下敬忠(せじものぶただ)が宝暦3年(1753)3月に編纂した信濃国,敬忠は、父や菩提寺の老僧から学び、後に江戸に出て書家に師事して学識を深め、帰郷後は信濃国史の研究に情熱,第3巻から第6巻までは信濃国内の城や館の沿革、さらには旗本役所に関する記述がなされている。,第9巻では信濃国中の駅路間の行程などが詳述され、第10巻には芦田・真田・村上などに関する考証を記され、,さらに付録として「国中怪異奇談」として信濃国内の怪異や奇談が収められている。
善光寺独案内 (著者三上真助)

『一新講道中手引草』(明治11年) 『開明長埜町新図』(明治11年) 『信濃国村名鑑』(明治11年,) 『諸方道中記』(明治12年) 『信濃国水内郡長野町全図』(明治12年) 『善光寺長野町図』(
信濃地名考 ([解説])

上巻では序や凡例などに続き、「科野之國形」として信濃国図に延喜式ほかから古駅や往古牧地名などを記している,本文は、律令国家と信濃国との関わりや各郡の駅などを叙述している。,この他に『信濃国小県郡年表』などの著書で知られる上野尚志宛の手紙が挟み込まれている。
パスファインダー (中野県分県と長野県誕生)

 立木兼 善 贋二分金 太政官札 長野村善光寺町 信濃全国通用銭札 西方 寺 1 書名 信濃国,から明治2年初頭まで太政官による支配をうけるという、京都 以西とも関東以東とも異なる政治状況に置かれた信濃国,そのなかで、 廃藩置県などによる信濃国支配体制強化が取り上げられており、中野 県分県と長野県誕生の背景,1 記事 発行機関 年月日 2 記事 発行機関 年月日 3 記事 発行機関 年月日 信濃国
安曇・筑摩両郡旧俗伝 (1、「信府統記」の編さん)

1642)7月28日、その祖である忠清の時、旧領4万5000石に2万5000石を加封されて、三河国吉田から信濃国松本城,きにおよびながら、領地内の地誌・政譜を集成したもののないのを残念とし、藩政の参考に資するため、領内および信濃国一円
パスファインダー (長野県の誕生)

長野県の誕生 トピック(テーマ) 長野県の誕生 ねらい 信濃国から伊那県、,キーワード 信濃国 伊那県 中野県 松代県 上田県 松本県 飯田県 筑摩県 分権 論 移庁論 県庁火災,長野県立歴史館 1999 内容紹介 「文明開化と長野県」の「長野県が誕生するまで」には、信濃国
信濃奇勝録 ([解説])

しなのきしょうろく)』は、江戸後期の神官・地方史家である井出道貞(いでみちさだ)が天保5年(1834)2月に脱稿した信濃国全域,道貞は、文政年間(1818~30)頃から十数年にわたって信濃国内の奇勝地を訪れ、神社仏閣や名所旧跡を調査
安曇・筑摩両郡旧俗伝 (2、「信府統記」の内容と史料価値)

「信府統記」の凡例には、松本にとどまらず、その扱う範囲を、信濃国全域にわたるとしています。
小県郡民謡集 (著者・小山真夫(こやま まさお)について)

なお、本書と関わりのある論考として「信濃国小県郡地方言」(『風俗画報』四〇七 東洋堂 明治四三(一九一
松本藩庄内組大庄屋御用留 (4、御用留の書かれた年)

4、御用留の書かれた年 この「御用留」の書かれた弘化4年、5年の、信濃国の出来事をみてみましょう。
寛保二壬戌歳満水記 ([解説])

原は寛文6年(1666)に生まれ、元禄年間(1688~1703)に信濃国絵図調整に携わり、享保10年(
善光寺道名所図会 (○筑摩 法橋)

これは嘉承2年(嘉祥、849)にはじめて信濃国のうちの7か所へ伊勢より勧請のあったそのうちのひとつです
諸国道中商人鑑 (2 『中山道道中商人鑑』の成立)

『信州筑摩郡木曽上松駅寝覚浦島太郎略縁起』『信濃国布引山観音由来』『信濃国善光寺由来記』など、現在に伝
パスファインダー (信濃の古典(1))

出版社 名著出版 出版年 1975.9 内容紹介 蕗原拾葉(ふきはらしゅうよう)は信濃国高遠藩儒臣,の中村元恒(中 倧)・元起(黒水)親子によって編纂された、同藩内および信濃国内の地 理・郷土史を記述した
秀吉と真田 (真田氏上田領・沼田領の石高)

しかし、この上田領つまり信濃国小県郡一円の石高は江戸時代初期以降は約六万五千石とされている。
松本繁昌記 上・下 (発行までの経過)

松本市文書館 小松芳郎  「松本繁昌記」の緒言によれば、長尾無墨が『善光寺繁昌記』を記したが、松本の繁昌は信濃国一番
寛保2年 戌の満水 原町問屋日記 ([解説])

上田歴史研究会 阿部勇  上田地域の「戌の満水」については『原町問屋日記』『海野町問屋日記』『信濃国小県郡年表,寛保二年(一七四二)の戌の満水の被害状況を『原町問屋日記』に書き留められた順番に『海野町問屋日記』と『信濃国小県郡年表
善光寺道名所図会 (○筑摩 苅屋原)

文明18年(1486)に鎌倉で道灌が討死のときに、信濃国に落ちて来て、小笠原に属し、大永3年癸未(1523
パスファインダー (江戸時代千曲川水害と上今井瀬直し工事)

仁和4年の洪水 戌の満水 善光寺地震 千曲川瀬直し 内務省堤防 むしくら日記 信濃国地震大絵図 信濃国大地震火災水難地方全図
明治2年 組合取極書 ([解説])

[解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇  明治2年の組合取極書が残されている斎藤家は、信濃国小県郡高梨村
パスファインダー (草創期の善光寺)

信濃国善光寺阿弥陀仏像は、 即ち此の仏なりと。,…(『国史大 内容紹介 辞典』より) 「推古天皇十年壬戌四月八日、信濃国の人若麻績東人上洛し、下向の
信濃名勝詞林 (象山佐久間先生遺澤の碑)

宮下明彦 20~21 象山佐久間先生遺澤(いたく)の碑   勝安芳(あわ)【注1】撰文   信濃國
善光寺道名所図会 (○小県郡上田)

(注3)信濃国分寺は聖武天皇の勅願で建立されたと伝えられている寺で、国史跡跡に指定されています。
伊那の中路 わがこころ (わがこころ)

真澄遊覧記刊行会、『菅江真澄遊覧記1』、新編信濃史料叢書第一〇巻 概要 菅江真澄は天明三年の春から信濃国筑摩郡
伊那県布令書 ([解説])

[解説] [目録] 上田歴史研究会 阿部勇  信濃国小県郡高梨村(上田市鹿教湯温泉の旧家)になぜ
パスファインダー (東信地方の薬用人参(朝鮮人参)栽培)

:財団法人信州農村開発史研究所主任研究員・浅科村 内容紹介 五郎兵衛記念館学芸員)氏の「信濃国佐久地方
長野県師範学校生徒修学旅行概況 (2.本書の概況と特徴)

名儒坂本天山、西春近村報恩寺の松の古木、座光寺村の善光寺如来腰掛石、烈女阿藤、飯田城市沿革、天竜川船行、美濃信濃国境
パスファインダー (生島足島神社)

解 説では生島足島神社のあたりに古代信濃国の国造が居たところであろ うと記している。
パスファインダー (信濃の『万葉集』)

著者名 雑誌名 出版年 巻号頁数 東山道と万葉集 四賀村教育委員会/編 1983 万葉集信濃国
パスファインダー (長野県の災害)

信濃国・長野県災害関係史年表も付いている。
パスファインダー (宗良親王と信濃)

戦乱の南北朝時代に信濃国大 内容紹介 河原を拠点に戦と歌に生きた親王の魂が、激動と混迷の時代
パスファインダー (貞享3年(1686)の加助騒動)

リスト 雑誌 インターネット情報 貞享3年(1686)の加助騒動 貞享3年(1686)信濃国松本藩領
「長野県町村誌」と明治初期の絵図・地図 (筑摩村)

松平丹波守光行墓/松平虎千代墓/水野信濃守元和墓/水野信濃守元和室常子墓/饅頭塚/劔墳/県墳/鬼塚/国司塚/古墳/信濃国束間
善光寺道名所図会 (○別所温泉)

○別所温泉 4左    40代天武天皇白鳳年間、信濃国の束間の湯(つかまのゆ)(注1)に行幸したときのことです,清和天皇の皇孫である滋野親王が信濃国の海野にいてこの温泉に浴し、和歌を詠みました。   ,63代冷泉院の御代、安和2年信濃国の戸隠山に活鬼紅葉という妖賊(ようぞく)(注4)が住み、人々に害を与,信濃国筑摩郡まで平定、さらに小県・佐久を平定しようとし、村々から案内人を呼び寄せました。
善光寺道名所図会 (○筑摩 松本)

という人が、井川城を移してこれをを築き、そののち大永3年(1523)、小笠原家一族の水上宗浮という人が、信濃国,(注)天神は、歴応2年9月9日、信濃国司小笠原信濃守貞宗が創建したと伝えられ、信濃国一宮の諏訪大社から,了智もこれまで供奉してきたところ、鸞師の命により、信濃国に残り、栗林村で草庵を搆え、一向専念の義をここで,また、太子堂の本尊は放光の太子で、その濫觴(らんしょう、物事のはじめ)は、信濃国安曇郡丹生子村(当山13,(御詠歌)たのめ人こゝろも清き水沢の流に結ぶ法の誓ひを  寺伝 信濃国水沢山は、天平勝宝年中(749
パスファインダー (信州の山城を歩く)

「縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館」全8巻に掲載された全 内容紹介 城郭の中から、著者が信濃国
パスファインダー (高梨氏)

湯本軍一/著 長野プリントサービス 2011.7 内容紹介 中世鎌倉時代から戦国時代までの信濃国
上田案内 ([解説])

信濃国分寺八日堂の縁日には、上田小県はもちろん、佐久や上州からも鍋釜を求めて「鍋大」に立ち寄っている。,〇附近名勝古跡  生島足島神社、信濃国分寺をはじめ戸石城などが挙げられ、古戦場が紹介されている。
小県郡民謡集 (凡例)

古来の文化域を以て見るも小県郡は信濃国分寺を中心として ……其前後中心が少しづつ其附近(ふきん)に移動
パスファインダー (栗岩英治)

1/2 栗岩英治 雑誌 インターネット情報 新聞 4 書名 信濃国地字略考 
パスファインダー (『平家物語』と木曽義仲)

」と安曇豪族「仁科氏 (歴研選書) 曽山友滋/著 歴研 2015.9 平安末期から鎌倉期までの信濃国安曇野地域
善光寺道名所図会 (○埴科郡坂木)

日本武尊が信濃国を通ったとき、吉備武彦がここで飯炊きをしたと伝えられています。  
パスファインダー (信濃の高僧)

信濃国出身の近世浄土宗の高僧 石川達也/著 長野 2020.12 317号 8-16 開山大明国師 www.nanzen.net
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